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 2016年がスタートした。「気候も、政治も、経済も、不安を残したままに2015年は終わった。」、これは昨年の「豊田勇造おおみそかLIVE」のレポートの書き出しである。一年が過ぎ、多少良くなったかと思いたいが、現状は全く逆である。民意は完全…

Posted by 勇造ライブ on 2016年1月3日

飛行機の窓から今年は空路を利用「東日本勇造ファン支援ライブプロジェクト さあ、もういっぺん」、昨年も参加した、豊田勇造氏のライブである。今年は、10月1日が岩手県釜石市、10月の2日が岩手県上閉伊郡大槌町、一日置いて10月4日が岩手県陸前高田市となっている。昨年は3箇所とも参加できたのだが、一日空くことで陸前高田は断念、釜石と大槌町への参加となった。
2回目となる東北行き、昨年はバスと新幹線とレンタカーを利用し、約12時間かかった道のりだったが、腰痛持ちの私の身体の負担を軽減したいとの連れ合いの判断もあって、今年は空路を使って時間の短縮を図る。名飯バスに乗り名古屋駅まで行き直通バスで空港入り。FDA国内便に乗り「いわて花巻空港」へ。その後はレンタカーで目的の釜石市に向った。それでも8時間近くはかかったろうか、やはり三陸は遠いところである。 - 続きを読む -

 10月の2日から5日、豊田勇造氏のライブのため、岩手県に行ってきた。勇造氏は、我が街「飯田」でも、毎年ライブを行っているシンガーソングライターだ。連れ合いが友人から誘われたのがきっかけなのだが、通常はこうした場合、私は同行しないことが多い。財政面のこともあるが、ネットがらみの仕事ゆえ、仕事が激減している今、ウィークディにはあまり仕事場から離れたくはないというのが本音である。だが、場所はあの震災の地、同じ国に住む者として、一度は実際に見なければと思っていた場所でもある。お気に入りのシンガー「豊田勇造」との繋がりの強い地ということもあって、思い切って出掛かることにした。
昨年から始まった『フリーライブ「東日本勇造ファン支援ライブプロジェクト、さあ、もういっぺん」』と名づけられたそのライブ、勇造氏のファンの人たちが、東北とつながりの強い勇造氏と、被災地である東北に住む勇造ファンのために、震災後も今までのようにライブを行って欲しいとの思いから、カンパを募り実現したもののようだ。今年の日程は、10月2日6時半ころから岩手県釜石市の青葉公園商店街特設会場、10月3日午後4時ころから岩手県上閉伊郡大槌町の喫茶ムーミン、そして、10月4日岩手県陸前高田市のジャズタイム・ジョニーとなっている。早い話が、その追っかけレポートのようなものである。「さあ、もういっぺん」は、彼の曲「大文字」のリフレイン部分に出てくる言葉だ。

10月2日、釜石市
北上駅。ここでレンタカーで釜石まで。東北新幹線で北上まで結局、誘った本人は仕事の都合で3日以降の東北入りとなったが、我々は2日に出発。朝6時のバスで新宿に出て埼京線で大宮まで。大宮から東北新幹線に乗って北上へ。そこからレンタカーで釜石市に入る。釜石市青葉公園商店街特設会場に到着したのは午後6時過ぎである。現地で少々迷ったこともあるが、所要時間はほぼ12時間。結構な長旅となった。レンタカーで釜石に向う、意外と道は良い。
この日は、その青葉公園商店街特設会場での野外ライブとなる。迎えに出てくれたライブ主催者の誘導で車を止め、会場を見てみる。二階建ての仮設店舗が並び、40軒ほどの商店が集まって商店街ができている。その中庭のようなスペースでライブが行われるようだ。
すでに機材は揃えられ、リハーサルも終わっている様子、天候はぐずつき気味だが、さほど寒さは感じない。その商店街の一角にあるラーメン屋でラーメンをすすっていた勇造氏と会う。彼の笑顔に、見知らぬ地で親しい友人にでも会ったような安堵感を覚えたのは、彼の人柄のせいだろうか。
今回、ホテルなど宿泊施設はほとんど満杯の状態だった。行くことを断念しようとさえ思っていた時、状況を聞くために連絡したライブの主催の方に骨を折ってもらい、会場近くのシェアハウスに2泊することができた。正直、感謝の言葉もない。
シェアハウスのオーナーに案内され宿泊場所まで行き、そこの駐車スペースに車を止めて徒歩でライブ会場に向った。途中銭湯があったが、時間的に今夜の入浴は断念せざるを得ないようだ。よく見ると翌日は定休日となっている。2日間入れないことを嘆く私にそのオーナーは「我々は一ヶ月くらい入れなかったですから」とポツリ。ただ納得するのみ。
釜石スペシャルバンドと一緒に♪青葉公園商店街で歌う勇造氏。さぁ、いよいよライブである。勇造氏のソロからゆっくりと始まった。商店街内のラーメン屋で出前可能と聞き早速頼む。そのラーメンをすすりながらのライブ観賞はなかなか良いものだ。後半、釜石スペシャルバンドと名付けられた、地元のミュージシャンたちと勇造氏との一緒の演奏があったが、30年近くこの地でライブを続けてきた勇造氏と、地元の人との繋がりの確かさを見たような気がして心に残るものとなった。
最後はみんなで。なぜか私も混ざってます。仮設商店に囲まれたライブ会場。なかなか良い雰囲気♪仮設だが、商店に囲まれた商店街の真ん中、こうして人が集まるスペースには、地域の人々の繋がりが見え隠れ。そこには、外から来た私たちにも感じることができる、温かな空気が流れていた。
美味そうにビールを飲む勇造氏。結局、打ち上げにまで参加させてもらったが、そこに集まった人たちから聞く、震災時の話が、この地が被災地ということを思い出させる。話の中の『普通じゃ変だと思うかもしれないけど、「最近あいつどうしてる?」、「あぁ、あいつは流されたよ」、「そうだったな・・・」。こんな会話が日常交わされるんですよ』は、なんとも衝撃的だった。
話す彼らに暗さはない。そうせざるを得ない現状とはいえ、彼らの強さみたいなものを感じた夜だった。自分自身、生きてゆく勇気のようなものを与えられたような気がする。
そんな、心に満ちた力と胸に広がる温かさのようなものを抱いて、宿泊場所に戻った。明日は釜石市の様子を少し見て回ることにする。

◇釜石市、青葉公園商店街での演奏曲目◇
 1.好きなもの
 2.再会
 3.小さな町のライブハウス
 4.唇かみしめて
 5.夢で会いたい
 ‐.地元ミュージシャン(後藤さん)2曲(東へ西へ、他)
 6.メルトダウン 
◎ここから「釜石スペシャルバンド(ギター・ベース・パーカッション)」と共演
 7.満月
 8.それで十分
 9.高野グランドマンションのブルース
10.帰郷
11.虹のうた
12.大文字(みんな参加)
13.時代が変わっても
◎アンコール
14.花の都ペシャワール(パーカッションと)
 
10月3日、大槌町へ
翌朝、シェアハウスの近く、震災後に建てられたと思われる小さな喫茶店に入る。軽い朝食をとりながら、そこの店主と少し話した。生まれはこの釜石。仕事の関係で盛岡に住んでいたらしいが、震災後、何かできるだろうと、定年まで一年残してここに帰ってきたという。
ひっそりとしている釜石港。釜石の市役所近く、この街の市役所は健在のようだ。そんな彼から出てきたのは、取材に来た報道の横着さ・身勝手さ、住民を無視したような市の姿勢とその動き、そして、それに振り回される住民同士の不協和音だった。どこにでもある話しだが、今回の被害の大きさを考えると、“あんまり”と感じてしまう。
喫茶店を出た後、車で釜石港辺りに行ってみる。陸に上がった大きな船などの、TVなどで見た現状はもうそこにはなかった。港はひっそりとしていたが、水揚げはもう始まっているようである。
昨夜、このスペースを使ってライブが行われた。ここが青葉公園商店街。正面。鉄の街、釜石。新日鉄の動きにもよると思うが、この街が本当の意味で息づくのはまだ先なのだろう。ただ、昨夜の勇造ライブで出会った人たちの意気を思ったとき、それは確実な道として伸びていくだろうと信じる。
お昼近く、昨夜打ち上げをしたライブ主催者の店「MESA」に立ち寄り、そこで昼飯をとる。勇造氏たちとも会い、今日の大槌町への道筋と喫茶ムーミンの場所を聞くも、「何にもないから絶対迷うと思いますよ」と言われやや不安になる。食事を取りながら少し歓談、泊まったシェアハウスのオーナーの撮った、震災直後の写真を見せてもらい、改めてその凄まじさを教えられる。オーナーはプロのカメラマンである。
食事を終え、一路大槌町へ。車で15分くらいと聞いているが初めての道はやはり不安になる。途中、瓦礫の集積場のような場所の近くを通った。被災の現状が目の前に現れたような感覚になる。
奇跡的に残ったこのビルの2階に会場となる喫茶ムーミンがある。ボランティアが書いたと言うこの絵が目印になった。スタッフに聞いた目印が功をそうし、まったく迷うことなく目的地に到着。聞いたとおり確かにこの町は何も残っていない様子。この町に住むスタッフの一人に聞いた話だが、津波の後の火災がさらに被害を大きくしたということだ。
墓地の間、焦げた木が惨事を物語る復旧で立てられたらしい真新しい電柱以外はほとんど何も残っていない。ご両親を亡くされたという彼の話に、言葉を発することもままならず、ただその話に聞き入る。ふと目を上げると、高台まで続く墓地が見える。その中腹まで水が押し寄せたということだが、焦げた木がそのときの状況を今も語っている。
ライブは午後4時ころから始まった。奇跡的に残ったビルの2階に会場となる「喫茶・夢宇民(ムーミン)」がある。スタッフの「そろそろ始まります」という声に促され会場に入った。10人も入れば一杯になるだろうか、こじんまりとしたその場所でライブがスタート。
81歳の絹ちゃんとのデュエット。曲は北上夜曲。地元ミュージシャン大久保氏との競演。そのスペースのせいなのか、ここでの勇造氏はやや緊張気味。それも始まってしまえば“ノリ”も良くなる。ここ大槌町のミュージシャン、大久保氏も笛と尺八で加わり、80歳を超えたという女性の飛び入りまであって、店内はさらに盛り上がる。小さな会場ゆえの一体感が、なんとも良い雰囲気を作り上げていた。
この日は釜石に戻りもう一泊予定。こじんまりとスペースですが、結構盛り上がりましたね♪喫茶・夢宇民(ムーミン)のマスターも歌います♪帰り、先導してくれた車が来た道とは違う経路を通り、正直かなり焦ったが、無事釜石市に到着。
その後、釜石市の「のんべえ横丁」で打ち上げ。我々も誘われ、遠慮もなく参加させてもらったが、市街地にあったらしいその「のんべえ横丁」、すべてが流され、場所を変え、残った人たちが仮設施設での営業はじめたとのこと。以前に比べ、店の数も少なく中のスペースも狭いということだが、こうして人が集まる所は活気が見える。やはり必要な場所なのだろう。そこでいただいた「秋刀魚のすり身汁」は、実に美味かった。

◇大槌町、夢宇民(ムーミン)での演奏曲目◇
 1.再会
 2.小川先生
 3.勇造ないないづくし
 4.夢で会いたい
 5.それで十分
 6.北上夜曲(81歳の絹ちゃんとデュエット)
 ‐.喫茶夢宇民のマスターとスペシャルバンドで一曲
 ‐.後藤さん2曲(東へ西へ、他)
◎ここから「大槌スペシャルバンド(ギター・パーカッション・横笛)」と共に
 7.満月
 8.帰郷
 9.虹のうた
10.大文字
◎アンコール
11.花の都ペシャワール(パーカッションと)
 
10月4日、陸前高田へ
生憎の小雨模様の中、一路陸前高田へ翌朝、天気は生憎の小雨模様。釜石ライブの主催者の店「MESA」に寄り挨拶。それから陸前高田に向った。約2時間、ちょっと遠いが今夜のライブは7時ごろの予定、そんなに焦ることもないだろう。
一山超えるのか、多少の上り下りがあるが以外に道は良い。山猿の私、山道は得意である。途中大船渡の道の駅で休み、陸前高田に着いたのはお昼前後だったろうか。ここで連れ合いを誘った張本人と合流の予定である。
まだ瓦礫の残っている場所もあるようだ。大きな建物の残骸を残すのみ。新たな建物はない。こんどの宿はドライビングスクールの宿舎。その場所の確認をしてから、ナビを頼りに陸前高田市街地に入ってみる。瓦礫こそ片付けられていたが、ビルなど大きな建物の残骸を残し、荒涼と広がる元市街地。いまだに新たな建物は建てられていないようだ。宿舎近くのラーメン屋で聴いた話では、市の方針が決まるまでは建物を建てることを禁じているということである。諸々の状況が違うためか、自治によってかなり対処が違うが、結果としてどうする事が良いのか、その選択はかなり難しい。
大槌町のミュージシャン大久保氏から。曲は鎮魂の思いを込めてアメイジンググレスこの夜のライブは「ジャズタイム・ジョニー」。30年近く、ここでのライブの主催をしていたご夫婦は、津波に流され帰らぬ人となった。
母親とその友達を助けるため、自分の妻をその場に残し、車に母親たちを乗せ高台で降ろす。猛スピードで戻ったが、すでに遅く、二人とも津波に飲み込まれてしまった。彼らの話は地元新聞にも載ったと聞いているが、ジョニーのママさんや、ライブに関わっていた人は固より、長年ライブを通して心を通わせていた勇造氏が、心を痛めたのは確かだろう。
スペシャルバンドと共にスペシャルバンドと共に今回、そのお母さんが、勇造氏に会うため、お孫(亡くなられた彼らのお子さん)さんと共にそのジョニーに見えられた。それもあるのか、ライブの初っ端から、勇造氏の目は潤んでいたように思える。昨年よりはやや広くなったという話だが、まだ仮設のジョニーに、20名強位入っただろうか、熱気に包まれながらゆっくりとライブは始まった。
我が地域にも定期的に来ているというやなぎ氏やなぎ氏がフィドルで加わります。まずは都合で早く帰らなければならない大槌町の大久保氏の尺八。そして、今回も登場スペシャルバンドは、大久保氏の笛とウッドベースを加え、その名も「陸前高田スペシャルバンド」。勇造氏と共に演奏である。
花の都ペシャワール。パーカッションとの息がぴったり。勇造氏のソロ。心に沁みます。目と目で会話しながらのステージはお互いの信頼の証、アマチュアだが、一応音楽らしきものにぶら下がっている私は、少々うらやましく思える。陸前高田市のここにも地元ミュージシャンが登場する。やなぎ・やぎたこ氏。後で分かったことだが、やなぎ氏は私の住む街にも定期的に演奏に来るらしい。
そして、勇造氏のソロが始まり、ライブは佳境へと入って行く。
ジョニーでの打ち上げの様子。清酒「勇造」を手にして、ご機嫌の勇造氏。演奏が終わり、会場となったジョニーで打ち上げとなったが、合流した一名を加えた我々もそれに参加。すべてが終わり、勇造氏や皆と握手を交わし、余韻を引きずりながら宿舎に戻った。明日はもう帰路につく。

◇陸前高田市、ジョニーでの演奏曲目◇
 ‐.大槌町の大久保氏の尺八(アメイジンググレイス)
 1.満月(勇造氏・陸前高田スペシャルバンド・大久保氏)
 ‐.地元ミュージシャン、やなぎ・やぎたこ氏の5曲(がんばろう、他)
 2.雲遊天下
 3.海の始まり
 4.夢で会いたい(やなぎ氏と)
◎ここから勇造氏と陸前高田スペシャルバンドと共に
 5.高野グランドマンションのブルース
 6.それで十分
 7.帰郷
 8.虹のうた
 9.大文字(みんなで)
10.コーヒーブルース(やなぎ氏への返歌)
11.花の都ペシャワール(パーカッション)

最後に
正直な話、今回、行くかどうかかなり迷った。冒頭では「一度は実際に見なければ」とは書いたが、その反面、ボランティア活動でもない、ただ“ライブに行く”という、そんな安易な理由で果たして行って良いものなのだろうかと。
それを取り払ってくれたのが「勇造ライブ」だったように思える。小さな触れ合いだったが、人のやさしさ、人の温かさ、そして人と人の繋がりの大切さのようなものを感じることができた。この気持ちを持ち帰り、それを日々の生活に生かせるかどうかは分からないが、心の中に少しだけ、緩やかさのようなものが増えたのは確かだろう。
二日目の打ち上げの後、徒歩で帰る我々をシェアハウスまで送ってくれた釜石のライブ主催者との“連れション”のとき、「まさかこんな出会いができるなんて」と言った私の言葉に「本当ですよね、勇造さんのファンでよかった」と答えた彼の言葉に、ただうなづいた私。もしかしたらそれが答えなのかもしれない。
ネット時代、パソコン・携帯など、ネット端末を使えば簡単に交流はできる。しかし、それでは伝わらないものがある。それだけでは分からないものがある。その場に行って、その地に行って、実際に見て、聞いて、そして触れ合う、それが大切なのだろうと感じている。多分、きっかけは何でも良かったのだろう。
今回行かせてもらった東北の三つの街(町)、今の私たちには、経済的にも時間的にも、再び行くことはかなり難しいが、できれば、また行ってみたい場所、また会いたい人たちになったのは確かである。

最後になったが、豊田勇造氏をはじめとして『フリーライブ「東日本勇造ファン支援ライブプロジェクト、さあ、もういっぺん」』を企画した方々、それに賛同し協力なさっている多くの方々に心より感謝したい。
目に見える支援、このプロジェクトはまさにそれなのだろうか。できれば我々も微力ながらお手伝いができればと思っている。

◇    ◇    ◇    ◇    ◇
現地で温かく迎えてくれた、釜石ライブ主催者の草山さん、シェアハウスのオーナー菊池さん、スペシャルバンド・パーカッションのぴーすけさん、同じくスペシャルバンド・ギターのとりさん、エレキベースのしのぶさん、後藤さん、ジョニーのママさん、他、ライブを通じて出会った方々、この場を借りてお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。また行きたいです、会いたいです。

なお、スタッフ、パーカッションのぴーすけさんにより、今回の様子がyou Tubeにアップされています。ぴーすけさんはプロの映像カメラマン♪
[豊田勇造 ファン支援ライブプロジェクト2012]
◇    ◇    ◇    ◇    ◇

過去の勇造氏のライブ記事は下記。
恒例の春ライブ2012
雲遊天下
恒例「春のライブ」2010
マンゴーシャワーラブレター
春の小さなライブ2009
桜の時期の小さなライブ
あるライブ

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