飛行機の窓から今年は空路を利用「東日本勇造ファン支援ライブプロジェクト さあ、もういっぺん」、昨年も参加した、豊田勇造氏のライブである。今年は、10月1日が岩手県釜石市、10月の2日が岩手県上閉伊郡大槌町、一日置いて10月4日が岩手県陸前高田市となっている。昨年は3箇所とも参加できたのだが、一日空くことで陸前高田は断念、釜石と大槌町への参加となった。
2回目となる東北行き、昨年はバスと新幹線とレンタカーを利用し、約12時間かかった道のりだったが、腰痛持ちの私の身体の負担を軽減したいとの連れ合いの判断もあって、今年は空路を使って時間の短縮を図る。名飯バスに乗り名古屋駅まで行き直通バスで空港入り。FDA国内便に乗り「いわて花巻空港」へ。その後はレンタカーで目的の釜石市に向った。それでも8時間近くはかかったろうか、やはり三陸は遠いところである。

10月1日、釜石市
釜石ライブの様子その2釜石ライブの様子その1到着したのは午後6時を少し回った頃だったろうか、ホテルにチェックイン後、徒歩でライブ会場に向う。昨年同様、青葉公園商店街の中庭がその会場である。ホテルを出るとギターなどの音色がかすかに聞こえる。始まってしまったかと急ぎ足、会場はリハーサルの最中だった。リハ中の勇造氏に手を振って挨拶をしながら会場に入る。主催の草山氏をはじめ、昨年会った人たちは笑顔で迎えてくれた。覚えていてくれたことが嬉しい。このとき、故郷に帰ったような温かさが私たちを包んでいた。
さて、ライブの本番である。まずは古くからの勇造氏の友人、地元ミュージシャンの後藤氏。オリジナルを含めた数曲の演奏、OAといったところか。そして、勇造氏の登場である。失われたふるさとへの思い歌った「ふくしま」から静かに入る。震災から二年以上が過ぎ、このプロジェクトも三年目。徐々に活気を取り戻していく釜石の人たちを見ているのもあるのだろうか、今年の勇造氏には少しゆとりのようなものが感じられる。そして昨年同様に「釜石スペシャルバンド」が登場。ギター・ベース・パーカッションに加えて、今年はドラムとキーボードも参加。皆元気そうなのが妙に嬉しい。勇造氏を交えて、楽しむように演奏しているのが、なんとも羨ましく思えたのも事実である。空からは霧のような雨。それでも会場は、徐々に熱気に包まれていった。
ライブ終了後、今回も打ち上げに参加させてもらったが、ライブ中に、空腹を満たすため飲んだビールと日本酒がかなり回ったらしく、情けない話だがあまり覚えていない。ただ、よほど気分が良かったのだろう、終始にこやかな顔をしていたらしい。打ち上げが終わるころから、多少酔いが冷めたようで、勇造氏と共にホテル方向に歩いて行ったのは記憶に残っている。ホテル前で勇造氏と別れ、部屋に戻りそのまま就寝。

◇釜石市、青葉公園商店街での演奏曲目◇
o.後藤さん
1.福島
2.北上夜曲
3.勇造ないないづくし
4.住所録
5.好きなもの
6.高野グランドマンションのブルーズ
7.老いてこそロック
8.走れアルマジロ(女性ボーカル)
9.満月
10.大文字
11.それで十分
12.帰郷
13.花の都ペシャワール

10月2日、ペンションMESA?
周辺はもう土盛りが始まっているMESAの簡易宿泊施設明けて10月2日、今日は仮設商店街にある草山氏の店、「MESA」に行き、泊まらせてもらうことになっている「簡易仮設宿泊施設」へ連れて行ってもらう予定だ。午前10時ちょっと前「MESA」に行き、草山氏を伴ってその宿泊場所へ。そこは震災前に彼の店があった場所、彼はカヤックのインストラクターである。
仮説ということで想像はしていたが、雨の中、何もない場所にポツンと一つだけ置かれた仮設施設は、なんとも寂しく見える。当然だが電気はなく、灯りはろうそく使用のランタン。トイレは外にあり、これも仮設。中には2段ベッドがあるが、寝るのはシュラフ、キャンプに来た感覚である。結構楽しそうだが、天候が気になるところだ。
ここら一帯もまだ何もなく荒れたまま。土盛りをして土地の嵩上げをすることになっているらしいが、「実際はどうなるのか、その先行きは不透明のままです。」と草山氏はいう。諸々の注意事項を聞き、草山氏を送るために「MESA」まで。途中、震災の年の、初回の「さあ、もういっぺん」をやった場所に立ち寄る。「ここも取り壊されるんです」と、やはりちょっと寂しそうである。
彼を送り届けてから、我々は、買出しのため釜石駅近くのスーパーへ。ここでメガネをかけた女性に「ライブお疲れ様でした」と声をかけられる。さすがにびっくりしたが、三陸の、勇造ファンの人柄のようなものを垣間見た気がした。
そこで必要なものを購入して宿泊場所に戻る。卓上コンロで湯を沸かし、買ってきたコーヒーを飲みながら外の様子を伺うが、接近している台風の影響なのか、雨は激しさを増し、風も強くなってきている。さすがに心配になり、空き部屋がないかを昨夜宿泊したホテルに電話。運良く部屋が取れ、この段階でここでの宿泊を断念するが、仮設住宅に住む人たちのこと思った時、台風が来ているとはいえ、なんとも軟弱な自分たちが見えたのは事実である。

10月2日、大槌町吉里吉里へ
Apeの内部、ライブも出来る大槌町が一望できる「MEAS」に戻りその旨を伝えて詫びる。昼近くには勇造氏も現れて、一緒に「MESA」で昼食。今回はチーズオムレツカレー、これが結構いける味なのである。
この日のライブは大槌町。開演は午後6時ごろの予定。午後2時40分頃、パーカッション担当のぴーすけ氏の先導で大槌町へ向うが、昨年通った道からそれて左に入っていく。「道が違う!」と怪訝な顔をする私。昨夜打ち上げの時に、吉里吉里にある「Ape」という店に立ち寄るとの話があったことを、連れ合いから聞かされる。その場に私もいたらしいが、どうやら飲酒が過ぎたようで、その話を全く覚えていないのである。さすがにこれは反省するしかない。
吉里吉里に行く途中、大槌町を一望できる高台に立ち寄った。眼下に広がるその町は、復興の道筋がまだ決まっていないらしく、昨年同様に荒れたままだ。地盤沈下が激しいこの町では、今ある建物は全て取り壊し、町全体を土盛りして嵩上げすることになっているらしい。海岸沿いには、津波から守るため14.5メートルという巨大な防潮堤が建つらしいが、実際の住民は、海が見えなくなる環境と、いつ暮らせるようになるか分からないこうした計画には、結構反対の意見も多いようだ。この防潮堤に関しては、三陸地方の他の市町村でも建設が決まっており、その建設費は合計2700億円に上ると聞いている。その金を他に回して欲しいという切実な声と共に、そんな防潮堤が本当に役に立つのかと、懐疑的な意見も多いらしく、「このままでは、復興が先か住民流出が先になるのか分からない。」とぴーすけ氏は嘆く。
本来は住民が決め、住民の意向で進められるべきことだが、こうした巨大な資金が動く時は、それで多大な利益を得る者の影が見え隠れするのも事実。本当の意味で住民のための復興がなされることを切に望みたいが、今日それは夢なのか。
高台を降りライブ会場を横目で見て吉里吉里に向う。パイプアングルにビニールシートで覆った建物が見える。「Cafe & Ber Ape」だ。中に入ると、カウンターと簡単な椅子席。流された家の土台を利用したライブ空間がある。なんとも良い雰囲気である。近くに住んでいたら、多分毎日訪れるだろう。店を切り盛りするのは「のりしげ氏」、地元シンガーの一人だ。サービスで出された「釜団子」は、素朴な味として今も脳裏に残っている。
この「Ape」先日の台風26号の風で壊れた。修復を済ませ、もう営業していると思うが、土盛りのため、11月中の取り壊しが決まっていると聞いている。

10月2日、喫茶「夢宇民」
喫茶「夢宇民」、第二部喫茶「夢宇民」、第一部「Ape」を出てライブ会場へ。午後4時30分頃、その会場の喫茶「夢宇民」に到着。マイクセッティングなど、会場の準備が進む中、椅子並べなどを手伝いながら窓の外を見る。雨はもう止んでいるようだ。狭い会場だが詰め合えば20人前後は入れるだろうか、今年はここで何人の人たちに会えるのだろう。
後藤氏を始めとして「スペシャルバンド」の面々も次々に到着する中、先ほど立ち寄った「Cafe & Ber Ape」のマスター、のりしげ氏もギターを持って現れた。どうやら勇造氏が誘ったらしい。これはかなり楽しいライブになりそうである。
リハーサル中、「せっかく長野から来たんだから、1曲どうですか?」と勇造氏に言われた。さすがちょっと慌てたが、勇造氏のあのハミングバードも弾かせてもらえることゆえ、やらせてもらうことにする。しかし、何をやれば良いのか・・・。
リハーサルが終わり、いよいよ本番、まずは第一部。勇造氏のソロから入る。スペシャルバンドも加わりながら、ゆったりと進行して行く。のりしげ氏、私、夢宇民マスター率いるユーミンズなど、途中に他の者の演奏を入れるとのアナウンス。采配は勇造氏任せ、少々緊張しながらのライブ観賞となった。
第一部が終了し、休憩後に第二部が始まる。ますは勇造・後藤コンビの「東へ西へ」。続いて後藤氏の演奏があり、再び勇造氏の登場。徐々にスペシャルバンドも加わり、ライブは佳境に入っていく。出演者総出の大文字を終え、最後は「花の都ペシャワール」。ぴーすけ氏のパーカッションが曲を引き立てる。三陸でなければ聞けないバージョンである。
今回、観客が少なかったのがちょっと残念だったが、昨年とは一味違うライブを堪能させてくれた。勇造氏もリラックス気味で、皆との演奏を楽しんでいるようだった。
ライブ終了後に、軽い打ち上げ。話が弾み、終わったのは午後11時を回っていただろうか、釜石では草山氏が首を長くして待っているはずである。ぴーすけ氏の先導で一路釜石へ。釜石に到着後に、草山氏と合流。ここから打ち上げの第二部となるのだが、主だった店はすでに終了している。仕方なくチェーン店に入る。出されたメニューを見ながら「魚も地元産じゃないんだよね」、苦笑である。最後は別れを惜しむように皆と挨拶。ホテルに戻りこの二日間の余韻に浸りながら眠りに付いた。明日はもう帰路につく。

◇大槌町、夢宇民での演奏曲目◇
〇一部
1.ハンク・ウイリアムスを聴きながら
2.田中一村
3.老いてこそロック
o.のりしげさん
4.ありがとうボブディラン
o.私
o.喫茶夢宇民のマスター率いるムーミンズ
5.長崎帰り

〇二部
1.東に西へ(後藤さんと)
o.後藤さん
2.勇造ないないづくし
3.九つの鐘
4.帰郷
5.満月
6.それで十分
7.大文字(出演者全員で)
8.花の都ペシャワール

◇最後に◇
今回で2回目となる東北行き、経済的なこともあり、その間際まで行くことを迷ったのは事実である。だが、「昨年出会った人たちにもう一度会いたい」という衝動に押されるように行くことを決断。釜石でのライブの時、冒頭の挨拶で主催の草山氏は「勇造さんが今年も来てくれました。我々勇造ファンにとっては最高の支援になります。」と言っていた。だが、ライブ観賞のみの勇造ファンの我々が行くことは支援なのか?という疑問は未だにある。
帰る当日、挨拶のために「MESA」に寄り、草山氏といろいろ話したが、ライブ初日の打ち上げの時、飲みすぎで記憶のないという醜態に「いやぁ、まるで昔からの友人と飲んでいるような気分になっちゃって・・・」と言い分けする私に、「それで良いんです」と、笑顔で返してくれた草山氏。帰り際、勇造氏とぴーすけ氏が現れ、彼らに挨拶をして「MESA」を後にしたが、ぴーすけ氏との握手の際、私の口から出た言葉は「お互い頑張りましょう」だった。そう、多分それが答えなのだろう。
未だに復興が進まぬ被災地。それでもまっすぐ前を向いて生きる人たち。そんな彼らにまた会いたい。そんな彼らと共に前を向いて生きて行きたい。そんな想いが心を満たしている。また1つ心の中に宝物が残った。

昨年と同じになるが、豊田勇造氏をはじめとして『フリーライブ「東日本勇造ファン支援ライブプロジェクト、さあ、もういっぺん」』を企画した方々、それに賛同し協力なさっている多くの方々に心より感謝したい。

◇    ◇    ◇    ◇    ◇
温かく迎えてくれた三陸の皆さん、本当にありがとうございました。また会いに行きます。

なお、スタッフ・パーカッションのプロの映像カメラマン、ぴーすけさんにより、今年もライブの様子がyou Tubeにアップされています。
[豊田勇造 ファン支援ライブプロジェクト2013]

また、私の撮った写真をFacebookのアルバムにアップしてありますので、宜しければそちらもどうぞ♪(Facebookにログインしなくても見られます)
2013年、東日本勇造ファン支援ライブプロジェクト「さあ、もういっぺん」、釜石
2013年、東日本勇造ファン支援ライブプロジェクト「さあ、もういっぺん」、大槌
◇    ◇    ◇    ◇    ◇

過去の勇造氏のライブ記事は下記。
恒例春ライブ‐2013
さぁ、もういっぺん
恒例の春ライブ2012
雲遊天下
恒例「春のライブ」2010
マンゴーシャワーラブレター
春の小さなライブ2009
桜の時期の小さなライブ
あるライブ