4月も中盤に差し掛かり、朝晩の冷え込みのせいで、その散る時期を延ばしていた街中の桜の花も、そろそろ桜吹雪となるころだろうか。その冷え込みも、ややゆるやかに感じる今夜の気温である。
普段、私は、徒歩で10分足らずの距離にも拘わらず、夜の街中にはあまり出向くことはない。しかし、あるシンガーのライブを見るため、連れ合いと共に久しぶりに夜の市街地へと出かけることになった。
「豊田勇造」それがそのライブを行なう人物の名である。いわゆる、シンガーソングライターの部類と思うが、正直なところ、その名を知り得る人はそう多くはないかもしれない。私自身、一昨年のころ、知人から聞かされた名ではあるが、そのライブに出かけるのは今回が初めてである。そんな訳もあり期待半分で市街地にあるライブハウスのドアを開けた。
私の若かりし頃は、アンダーグランドミュージックと呼ばれる領域で、小さなライブハウスを中心に活動をしているミュージシャンが多くいた。今までの固定された“歌手”という概念を捨て、社会風刺を含め、自分たちの想いを自作の曲に込めて歌う彼らに、まるで憧れを抱くかのように、若者たちは皆、ギターをかき鳴らし濁声を上げて歌ったものである。
だが、世の流れが変わる中、徐々にその形を変え、現存する芸能界の中に、まるで吸収されるかのように消えていった。
このライブ、そんな遠い良き時代を思い起こさせてくれた。当然、私にとって心地良いものとなったのは言うまでもないが、曲の合間に35周年の記念コンサートのことを話す彼の生き方が、バブルに浮かれ、バブルに踊り、その崩壊で荒み、結果として格差社会に突き進んでいく今の世の中で、“ひときわナチュラル”に思えたのは、私の、ノスタルジーのせいだけではないのだろう。
今後、私が、ライブを含めて、彼の歌に耳を傾けるかどうかはまだ分からない。だが、仕事を含め、諸々に積み重なるものに痛めつけられていた私の心の中を、まるで山の麓の風のように、郷愁と心地良さを残して駈け抜けていったことだけは確かである。