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秋に咲く仏の座(ほとけのざ) 撮影日:2007年10月28日 撮影:管理人色付く風越山(ふうえつざん)頂上付近 撮影日:2007年10月28日 撮影:管理人ようやく紅葉の兆しが見え始めた山麓辺り、麓から見える頂上付近は、すでに秋の色に変わりつつあるようだ。
そんな山の麓の公園で、仏の座(ほとけのざ)が咲いているのを見つけた。昨年の11月、「晩秋のホトケノザ」としてトウモロコシ畑の跡地に群生するところを載せたことを思い出すが、場所と数こそ違え、今年も秋に咲く仏の座(ほとけのざ)を目撃することとなった。ふと季節がわからなくなることがある昨今だが、毎年見かければ、こうした光景も“当たり前”となる。遥か昔から四季を要に育まれてきたこの国の文化、培われてきた人々の暮し。今後を思えば、やはり不安になるというのが正直なところだろうか。秋に咲く仏の座(ほとけのざ) 撮影日:2007年10月28日 撮影:管理人
最近になり、やっとだが環境問題の重要性が、深刻な現状と共に騒がれ始めた。経済失速を恐れ、未だその気にならない大国を含め、我々の住むこの国も、それなりの動きはあるものの、肝心の本質は置き去りのように見える。
経済と環境、まるで相容れないと思われがちなこの二つ。なにゆえの経済か、なにゆえの環境か。それを見据えた時、その答えは必然として見えてくるはずである。
そんな人の勝手な思いはどこ吹く風、気候の変動を敏感に感知してその生態を変えようとする野草たち。最終的なその結果は、時間軸の短い我々にはわからないが、目に見えるその振る舞いは、自然の変化に対してより柔軟に思える。そんな彼らの生き方から学び取れることはないのかと、ふと思うこの頃である。
仏の座(ほとけのざ)、別名を三界草(さんがいぐさ)。ユーラシア大陸から北アフリカにかけて分布するシソ科オドリコソウ属の越年草本。本来の花期は3~6月頃となる。
そんな今年の秋もいよいよ後半に差しかかるが、その先にある冬の存在を強く感じながら、10月も今日で終わる。

マイパソコン内部 マザーボード電池周辺 撮影日:200年10月27日マイパソコン内部 撮影日:200年10月27日 撮影:管理人昨年、暖めないと立ち上がらない「妻のパソコン」の情況を載せた。幸いなことに夏の間は良い子で立ち上がっていたが、秋風と共にまた“例の症状”が出始めた。どうやら、私と同じで寒さは嫌いなようである。結局のところ現状維持ということになるのだろうか。
それはさて置き、今回は“トラブルパソコンのネタ”第2弾として、私の使用するパソコンの話である。
6年以上前の話しになるが、我がパソコン、一回マザーボードを交換している。初期搭載のものは一年強で壊れ、現在のものと載せ替えた。交換したものはASUS製。その時すでにCPUソケット「Socket370」仕様ものは、その一枚しかなく選択の余地などはなかったのだが、このマザーボードがちょっとした“外れ物”ということとなる。
知っている人も多いとは思うが、マザーに使うリチューム電池(CR2032) 撮影日:2007年10月27日パソコンのマザーボードにはリチューム電池が積んである。BIOS内容を保持するためだが、通常は数年位放置してもこの電池が消耗することはまずはない。だが、購入したこのマザーボード、半年で電池切れとなってしまう。販売店との話で「電池自体が古かったかもしれない」ということになり、新しい電池に交換して様子を見るも、その半年後、やはり電池切れを起した。起動のたびにBIOS設定画面が立ち上がってしまうのである。
結局CMOSまでのレギュレーターの不良だろうとの結論に至ったのだが、すでに同種のマザーボードはなく、仕方なくそのまま使い続けることとなった。つまり、半年ごとに電池を交換しながら現在に至っている。
一昨日、電池切れの症状のため、その電池を交換した。それを見ていた連れ合いの「我が家にはまともなパソコンはないのかー!」の言葉に、「はい、ありません」「使っていれば道具、捨てればゴミ。我がパソコンよ、頑張れいぃ!」
そうは言ってはみたものの、果たしてどこまで行けるやら。進歩のためとはいえマザーボードすらない現状に、こうした関係の流れの早さを恨めしく思う今日この頃である。本当にこれで良いのだろうか。

秋の深まりと共に、夏のスポーツ“プロ野球”もシーズンの終わりを迎える。これは、本場“ベースボール”の国でも同様である。そろそろ今シーズンの王者を決めるシリーズに入るようだ。
そんな時、一年半のブランクを乗り越え、再びメジャーリーグのマウンドに立つべく動き始めた男の名がTVから流れた。“野茂英雄”、多分、誰もが一度は耳にしたことがある名ではないだろうか。決して熱狂的ファンという訳ではないのだが、その直向ともいえる生き方に惹かれ、以前から注目していた人物である。肘の手術の後、シーズン途中でマイナーに落ち、その後の動向が気になっていた。それゆえに、この情報にかなり喜んだのは事実である。
“ベネズエラウィンターリーグ”。彼が、再び米大リーグでのメジャー入りを果たすために選んだベースボールリーグの名である。このウィンターリーグ、その名の通り毎年11月から2月にかけて開催される。大リーグ等のオフシーズンということもあり、調整のために出場するメジャーリーガーも多く、かなりレベルは高いという話しである。
そんな彼が、自身の出身である社会人野球界の縮小を憂い、若い選手たちに活動の場を提供しようと、2003年に立ち上げた“NOMO Baseball Club(野茂ベースボールクラブ)”というのがある。彼の言葉「夢をあきらめるな!」を励みに、プロ入りを果たした選手もいる。その言葉は、彼の生き様から、私には「生きることをあきらめるな!」とも聞こえていた。弱き者・落ち行くものは切り捨てる、そんな今の世にあって、かなり強く印象に残っている。
何を目指し、どう生きるのか。その形は区々なれど、前を向き直向に生きられる世であって欲しい。政治の腐敗、経済の格差、犯罪は惨忍さを増し、人の心は荒廃して行くように思える中、その行方は我々一人一人の想いと、その生き方にかかっているのかもしれない。久々TVから流れたその名前に、ふとそんな思いが心に湧き上がっていた。
そんな彼も、すでに39歳。年齢的にもそろそろ限界に近いだろう。是非とも、もう一度メジャーリーガーとしてマウンドに立つ姿は見たいものだが、例えそれが叶わずとも、米大リーガーとして、一流のプロスポーツ選手として、そして何より、一人の“人”として、私の脳裏にいつまでも残るのは確かである。

金木犀(きんもくせい) 撮影日:2007年10月10日 撮影:管理人金木犀(きんもくせい)の通り 撮影日:2007年10月10日 撮影:管理人今週に入り、日中でも20℃を下回るようになってきた。今日は午後から雨となり、最高気温も15℃前後とかなり肌寒い。予報では来週辺りから穏やかな日が続くということだが、昨今の予報の確率から、たぶんそれも当てにはならないだろう。
写真は市街地の金木犀(きんもくせい)。昭和22年の4月20日、飯田市街地を襲った「飯田の大火」。その教訓を元に、防火帯として作られた“並木通り”と呼ばれる通りに植えられているものである。金木犀(きんもくせい) 撮影日:2007年10月10日 撮影:管理人
最近の、続く気候変動のせいなのか、やや咲く時期の遅れが目立ち始めたが、それでも今年も開花の時期を迎え、あの独特な香りがオレンジ色の花と一緒に、行き交う人の少ない通りを飾り付けている。
その先に見える、再開発という名の元に最近建てられたやや大きめの建物は、いまだに活気が戻らぬ街中、人口は減少の一途、その上、暮しと経済が乖離しつつある昨今の社会にあっては、もはや愚かさの象徴としか言いようがないが、そんな街中にも、金木犀(きんもくせい)の強い香りと共に秋は廻って来たようである。

今回壊れたマウス 撮影日:2007年10月15日 撮影:管理人現在のパーソナルコンピューター(以下パソコン)には必要不可欠とも言えるポインティングデバイス、マウス。あって当然のようの思われるこの周辺装置も、私が初めてパソコンを手にした頃にはなかったものである。
その当時、簡単な“絵”を画面上に表示させるのも、タートルグラフィックと呼ばれる方法でBASICのプログラム書いていた。フロッピーディスクなどはまだ一般的ではなく、ハードディスクに至っては夢のまた夢、外部への書き出しはもっぱらカセットテープが用いられた。
そんな時代からすれば、このマウスという入力装置は夢のような道具と言わざるを得ないのだが、実は、昨日、我がパソコンのマウスが壊れた。Windows 用のマウスなので、二つのボタンスウィッチと、その真中にはホイールがある。シャフトが折れたのか、外れたのか、そのホイールが空回りして効かなくなったのである。
当時、AT互換機のマウスは、最初の3ボタンが姿を消し始め、2ボタンが主流となりつつあった。当然、真中のホイールなどはなかったが、それで充分だった。Windows98 が出始めた辺りからホイールの持つものが現われ始めたのだが、それに対応するソフトも少なく、私自身も必要のないものと思っていた。
しかし、現在のブラウザを始め、ほとんどのソフトが対応する中、その使い勝手に慣れた今日では、その機能が使えないだけでまるで全く使えないような“不便さ”を感じ、マウス購入に走る自分がいる。
消費時代に疑問を感じながらも、未だにその真っ只中にいる自分には苦笑するしかなく、反省一途なのだが、ふと、マウスも昔は分解可能なものがほとんどで機械的な故障なら自分で修理もできたことを思いだし、今の使い捨てともいえる“分解も出来ぬマウス”を恨めしく眺める。
ところで、今回購入したものは横スクロールにも対応しているとのことなのだが、今は必要と思わないその機能も、やがて“なければ不便”と感じるようになるのだろうか。

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