雪の山麓 撮影日:2008年11月20日 撮影:管理人雪化粧の風越山の頂上付近 撮影日:2008年11月20日 撮影:管理人いよいよ11月も終わりに近づき、今年も紅葉という名の秋の演出が終わる頃となる。今季の山麓辺り、それなりに鮮やかなものは随所に見ることは出来たが、寒暖の差が激しいためか、葉が枯れたように丸かっているものが多かった。加えて、その色付き時期にかなりのバラツキがあり、総体的に見れば、今一つ生彩を欠いていたというのが実際のところだろうか。
確か2年ほど前のことだったと思うが、冬になっても葉を落とせず、雪の中でも茶色の葉を付けたままの木が目立った年があった。通常、落葉樹は、秋が終わり冬が来る前、厳しい寒さに耐えるため自ら葉を落とす。葉を落とすこと自体かなりの体力を使うらしいが、それでも葉を付けたまま冬を越すよりは、生き延びる確立が上がるということである。
早々と葉を落とす木々が増えたように感じた今季。変動する昨今の環境に順応した結果なのか、生態自体に異変が起きたのか、その意味するところが気かかる。雪の残る山麓公園内 撮影日:2008年11月20日 撮影:管理人落ち葉が覆う山麓公園内 撮影日:2008年11月20日 撮影:管理人まだ残る葉もある 撮影日:2008年11月20日 撮影:管理人
今回掲載の写真は今月の20日撮影のもの。前日に降った雪が残る山麓公園付近である。雪といっても、午後にはほぼ溶けて跡形もなくなる程度だったが、地面を覆う落ち葉のところどころに、まだ溶けずに残る白い色は、冬の到来を感じるのには充分だった。
秋から冬へ。今年、その終わりを見送る余裕もないまま冬の気配に包まれていた。二日もすれば、もう師走と呼ばれる月がやってくる。
今回、何の脈絡もない文に反省しつつ、多分これが11月最後の投稿となる。

街道沿いの農家の柿簾(かきすだれ) 撮影日:2008年11月15日 撮影:管理人街道沿いの農家の柿簾(かきすだれ) 撮影日:2008年11月15日 撮影:管理人急激な寒さをもたらした冬型の気圧配置も緩んだらしく、穏やかで暖かな週末となった。今日(22日)は朝から快晴である。
11月も早下旬、さすがにまだ最低気温が氷点下にまで下がる日はほとんどないが、日中の暖かさはどこへやら、午後からは北からの冷たい風が吹き、朝晩の冷え込みは結構厳しい。この時期の気候はこんなものといってしまえばそれまでだが、今年の冷え込みは結構身に応える。
長野県でも太平洋側に位置する飯田地方、わが家の柿簾(かきすだれ)? 撮影日:2008年11月22日 撮影:管理人年々秋が短くなり、冬の到来が早まっているように感じているが、東北辺りでは、今年の冬はいつもより遅い感があると聞いた。気候・気温の変化は地域によってかなり大きな違いがあるようだが、これも温暖化がもたらす現象の一つだろうか。北と南の温度差が小さくなっているようにも感じられる昨今である。
冬間近のこの時期、この地方では、渋柿の皮を剥き、農家の軒先や2階などに、簾(すだれ)や暖簾(のれん)のように吊るされている光景が見られる。いわゆる干し柿である。 - 続きを読む -

桜並木の紅葉 撮影日:2008年11が5日 撮影:管理人桜並木の紅葉 撮影日:2008年11が5日 撮影:管理人11月も2週間以上が過ぎ、そろそろ冬の気配が見え隠れする頃となってきた。このところ、晴天が続くせいか穏やかで暖かな日々が続いているが、週末を過ぎる辺りから師走並みの気候になるという話だ。下がりつつある灯油価格の状況を横目で見ながら、出来る限りその使用を控えていた石油暖房機も、そろそろ本格的に使わざるを得ない時期が近づいてきたようである。
そんな秋の終わり、紅葉という形で、山の上から始まった季節の装いは、すでに里に降り、市街地でも晩秋の様相を漂わせている。
この街、再開発のためか年々木々が減りつつあることが気にかかるが、それでも、痩せた街路樹を始めとして、変わらずに残る領域の木々たちは、色付いた葉を落とし始め、秋の終わりと、近づきつつある冬の存在を教えている。もう初冬と呼ぶべきなのだろう。 - 続きを読む -

2008年11月7日、あるジャーナリストの死がTV報道番組から流れた。「筑紫哲也」氏。TVのニュースキャスターとして誰しも知る人物だろう。私は、彼の生い立ちを始め、朝日ジャーナル時代もほとんど知らないが、TVを通して伝わるその言動は、一貫してぶれない主観と主張、そして幅広い客観的視野と、実に見事といえるものだった。
今、他の民放や、視聴者から税金のごとく視聴料を徴収している、政府広報のような放送局の報道番組は論外としても、当の本人が出演していた番組でさえ、残念ながらその後継者がいないというのが現状だろうか。
政治をはじめ、世界の動きまで、今起きていることに対して、報道や世の風潮に惑わされることなく、自分の目で見、感じ、そして何が事の本質かを見定める。
TVを通してだが、その重要性と共に、私自身の世の見方・物事の見方に少なからず影響を与えた人物なのは確かである。政治、経済、国内外の情勢とその平和、温暖化と地球の環境など、その範囲は極めて広い。そして何より、人と文化・芸術への篤い想いが印象的だった。ジャーナリスト・ニュースキャスターの枠を超え、一人の人間としてその影響を受けた人は結構多いのではないだろうか。
そんな彼が、肺ガンに犯されたことを自ら告白したことはまだ記憶に新しい。闘病生活を送りながらも、節目節目には番組を引き締めるかのように顔を出していた。復活を願っていた私には、やはり衝撃的な事件となったのは事実である。
今は、「お疲れ様でした」と、安らかに眠ってくれることを心より願うが、彼の成し得なかったものを感じ、彼の残したもの引き継ぐのは、私のようにTVを通して接してきた人たちを含め、彼の言動に共感し、そうありたいと願った我々個人個人ではないのだろうか。
そんなことを考えながら、最後になったが、彼の冥福を心より祈りたいと思う。

天竜川の葦 撮影日:2008年10月17日 撮影:管理人秋の川原の葦原 撮影日:2008年10月17日 撮影:管理人天竜川 撮影日:2008年10月17日 撮影:管理人いよいよ11月。晩秋を迎え、飯田地方も木々が色付き始めたが、このところの朝晩の急激な冷え込みが、すぐそこまで来ている冬の存在を強く感じさせるようになってきた。ようやく下がり始めた灯油の価格状況を横目で覗いながらも、そろそろ暖房機の準備が必要と感じている今日この頃である。
掲載の画像は、「天竜川」の川原の風景。我が南信を縦に通りぬけて、静岡県を経て海に達する一級河川である。住んでいる地域から少々離れていることもあり、普段、あまりここまで来ることはないのだが、出かけたついでに、久々に立ち寄ってみた。 - 続きを読む -