田んぼと地域と経済と
早いものだ、10月も10日以上が過ぎた。まるで、自然が帳尻合わせをするように、先日までの、秋を通り越したような寒々とした気候から、安定した穏やかな秋晴れの日が続いている。久々に外に出てみれば、近隣に点在する田んぼは、すでに稲刈りを終えたところが多くなっていた。
写真は、このブログの前身でもある「今日の一枚」の頃から、幾度となく載せてきた棚田である。今年は、春先からの体調不良もあり、なかなか撮影に行くことができなかった。先月の下旬になるが、外出ついでにとちょっとだけ寄ってみた。
久しぶりに目にしたその田には、すでに黄金に色付き始めた稲穂が頭を垂れ、収穫間近の様子である。しかし、よく見てみると、下段の三枚ほどの田に稲がない。人手が足りなかったのか、耕された様子もなくやや荒れた状態となっている。今年のみのことなのか、来期が気になるところである。
現在、我が国で稲作が行なわれなくなった田んぼ、いわゆる休耕田と呼ばれるものが一体どれほど存在するのか分からないが、ここ数年、私の住む周りでも稲が作られなくなり放置されたところがかなり目立つようになってきている。その要因として、農業従事者の高齢化や、後継者不足があげられているが、戦後、大国の思惑に乗った形となった国の農業政策の失敗が最大要因なのは明らかだろう。その代償として工業化は進み、それにより手に入れたはずの経済力だが、今や“このざま”である。それを認めたくないのか、未だに続く、「経済活性化」という大義名分の元の道路の新設・拡張と、進む都市化。発展の文字が踊り、それによって変わってゆく地域環境。当然、それも大きな要因の一つとなる。
穀物などの食料を始め、我が国における諸々の自給率の低さが叫ばれて久しいが、そんな中、昨今騒がれている大国の金融不和での株価暴落。そこに見え隠れする世界恐慌の恐れ。どのみち実態経済への影響は避けられないようだが、今後を考えても、そんな数字の上の浮き沈みに影響されない、地に根の生えた、人の暮らしを中心とした経済の新たな仕組みを構築する必要があるだろう。
この国に息衝いていた豊かな自然。それを軸に育ってきた一次産業。そして人の暮らしに合った経済の速度と時間の流れ。もう一度それを取り戻す必要があるのではないのか。素人ながらも、そんなことを感じる昨今である。
>耕された様子もなくやや荒れた状態となっている
田や畑は一度荒れると元に戻すのが大変だそうですね。
>道路の新設・拡張と、進む都市化
一日で二桁程度の交通量しかなく、高規格道路で充分なのに高速道路を作っちゃうあれですか?(笑)
>ぺんた
そうですね、特に田んぼは大変のようです。
一日で、二桁かどうかは分かりませんが、実際、不必要なくらい広くなっています。中央分離帯まで出来て・・・。
高速道路というわけではないのですが、似たようなものが出来つつあるようですね。
こういうもの、一体どこが、一体誰が潤うのだろうといつも考えますが、我々普通の暮らしのしている庶民は、実害は受けても、恩恵と思える事柄は極めて少ないのが実状でしょうかね。
そう思うとき、なんのための工事、なんのための発展、なんのための経済かと、頭を傾げます。
まぁその実体、みなまで言わなくても分かると思いますがねぇ。
>まぁその実体、みなまで言わなくても分かると思いますがねぇ。
そうですね(笑)
極一部の業界が一時的に潤っても、そのお金は「税金」から出ている訳で。
悪習に取り憑かれてる輩と金ばかりかかって正常に機能しない選挙。
この2点が改善するだけでか〜なり違うと思いますがw
>ぺんた
選挙で思い出したけど、今月の19日はわが市の市長選があるわいな。
ある新聞社から、電話でのアンケート調査を受けたわいな。言いたいことだけ言ってやったわいな。
しかし、あれでアンケートに答えたことになるんじゃろかぁ??
(^▽^笑)
>言いたいことだけ言ってやった
それがアンケートに答えるってことでしょ(笑)
>ぺんた
あ〜っと、いやね、相手の設問を無視して、勝手に言うたのよ。
まっ、いわゆる統計の助けにはならんかったろうね、多分。
皆さんしっかりしたお考えをお持ちのようですねえ。
実際に田舎の農業圏のど真ん中の村に住む小さな農家の私としては、申し訳ないですが皆さんの考えを全部否定することができます
高齢化問題も後継者不足も原因じゃなく結果だと言えちゃいますが、反発必死なのでやめときます(^_^.)。
ただマスコミはうまく一般消費者や都会に住む方達を洗脳するものだと関心仕切りです
>玉井人様
はい、仰せの通り、私も結果と考えます。
反発はしませんよ。人は別々な経過を経て今日まで生きています。生まれた環境も、育った環境も、今生きている環境も違います。異論があるのは当然、出来ればそのお考えを述べていただければ嬉しく思います。
そんな話の中で、私のような人生の終わりが見え始めた者は、最後の足掻きと罪滅ぼしではないのですが、後の時代を担う人達に、何かのヒントを残せられれば嬉しい・・・、などと考えてみたりしています。
考えているだけですけど・・・。
私事ですが・・・、
水呑み百姓のようなものでしたが私も農家の子供でした。
当時、周りは田んぼだらけ。道は未舗装、自動車などは走らず、農耕に使うための牛の糞や馬の糞が転がっていました。小学校の頃は、馬糞を蹴飛ばしながら帰った記憶があります。
私自身も、戦後の政治戦略の影響のためか、近代化することは全て良いことと、まるで洗脳されたような考えの中で育てられました。
食べる物もなく、飢える人が多かったその時代の動きの全てを、頭から否定することは出来ませんが、高度成長期の頃から有名な東北出身の政治家の方の旗印の元、山間の地方まで近代化の波が押し寄せ、結果として大事なものも失ってきたのも事実と思っています。
当然、私は農とは全く関係のない仕事をしています。もし、私の実家が仮に大きな規模の農家で、後継して行く必要に迫られたとしても、当時の私は農を職業として選ばなかったと思います。当時はそこに未来は見えなかった。
結局私も“今の社会形態に進む流れに棹さしていただけ”だったのかもしれません。情け無いのですが、それに気付かされたのは、50を越えてからでした。当然、マスコミもそんな風潮はまだ微塵もありませんでしたがね。
敗戦から貧困を経て、高度成長期、そしてバブルを迎え、それが弾けて今日に至ります。今、一次産業を始めとして、バブル以前の社会体制に戻ってもなんの意味もないと思っています。ですが、資本主義経済の末期症状が見え始めている今日、当時の“時間の流れの中”に、その打開のヒントが隠されているように思えてなりません。
話が少々ずれますが、一億総中流化時代、小さいながらも自分の家を持ち小さな家庭を育む。それがとても幸せのように思えたのは事実、それが、それだけが人生の目標になっていた人も多かったはずです。しかし、それにより人々は社会性とその社会における個々の責任さえも失い始めたのも確かではないかと思っています。
社会性の欠如、それは多分私も同じなのでしょう。
最後に、
私は、今流行の有機農法を含め、環境の問題などがブームになることを恐れます。その中に、ことの本質の解決策はないものと考えています。
ご丁寧にありがとうございます。ほとんどお分かりのようなので結うことが無いです(^_^.)
でも東北出身の政治家にそんな大物が居ましたっけ?記憶がまったく無いです。今の民主党の小沢氏はまだそのころ若いですし・・・?
結う」じゃなく「言う」でした。ミスです
>玉井人様
あらら、すみません。東北ではなかったです。
甲信越になるのかしらね。
訂正してお詫びします。
ぺこ < (_ _)>