棚田のある風景 撮影日:2008年9月22日 撮影:管理人棚田のある風景 撮影日:2008年9月22日 撮影:管理人早いものだ、10月も10日以上が過ぎた。まるで、自然が帳尻合わせをするように、先日までの、秋を通り越したような寒々とした気候から、安定した穏やかな秋晴れの日が続いている。久々に外に出てみれば、近隣に点在する田んぼは、すでに稲刈りを終えたところが多くなっていた。
写真は、このブログの前身でもある「今日の一枚」の頃から、幾度となく載せてきた棚田である。今年は、春先からの体調不良もあり、なかなか撮影に行くことができなかった。先月の下旬になるが、外出ついでにとちょっとだけ寄ってみた。
久しぶりに目にしたその田には、すでに黄金に色付き始めた稲穂が頭を垂れ、収穫間近の様子である。しかし、よく見てみると、下段の三枚ほどの田に稲がない。人手が足りなかったのか、耕された様子もなくやや荒れた状態となっている。今年のみのことなのか、来期が気になるところである。
現在、我が国で稲作が行なわれなくなった田んぼ、いわゆる休耕田と呼ばれるものが一体どれほど存在するのか分からないが、ここ数年、私の住む周りでも稲が作られなくなり放置されたところがかなり目立つようになってきている。その要因として、農業従事者の高齢化や、後継者不足があげられているが、戦後、大国の思惑に乗った形となった国の農業政策の失敗が最大要因なのは明らかだろう。その代償として工業化は進み、それにより手に入れたはずの経済力だが、今や“このざま”である。それを認めたくないのか、未だに続く、「経済活性化」という大義名分の元の道路の新設・拡張と、進む都市化。発展の文字が踊り、それによって変わってゆく地域環境。当然、それも大きな要因の一つとなる。
穀物などの食料を始め、我が国における諸々の自給率の低さが叫ばれて久しいが、そんな中、昨今騒がれている大国の金融不和での株価暴落。そこに見え隠れする世界恐慌の恐れ。どのみち実態経済への影響は避けられないようだが、今後を考えても、そんな数字の上の浮き沈みに影響されない、地に根の生えた、人の暮らしを中心とした経済の新たな仕組みを構築する必要があるだろう。
この国に息衝いていた豊かな自然。それを軸に育ってきた一次産業。そして人の暮らしに合った経済の速度と時間の流れ。もう一度それを取り戻す必要があるのではないのか。素人ながらも、そんなことを感じる昨今である。