2008年11月7日、あるジャーナリストの死がTV報道番組から流れた。「筑紫哲也」氏。TVのニュースキャスターとして誰しも知る人物だろう。私は、彼の生い立ちを始め、朝日ジャーナル時代もほとんど知らないが、TVを通して伝わるその言動は、一貫してぶれない主観と主張、そして幅広い客観的視野と、実に見事といえるものだった。
今、他の民放や、視聴者から税金のごとく視聴料を徴収している、政府広報のような放送局の報道番組は論外としても、当の本人が出演していた番組でさえ、残念ながらその後継者がいないというのが現状だろうか。
政治をはじめ、世界の動きまで、今起きていることに対して、報道や世の風潮に惑わされることなく、自分の目で見、感じ、そして何が事の本質かを見定める。
TVを通してだが、その重要性と共に、私自身の世の見方・物事の見方に少なからず影響を与えた人物なのは確かである。政治、経済、国内外の情勢とその平和、温暖化と地球の環境など、その範囲は極めて広い。そして何より、人と文化・芸術への篤い想いが印象的だった。ジャーナリスト・ニュースキャスターの枠を超え、一人の人間としてその影響を受けた人は結構多いのではないだろうか。
そんな彼が、肺ガンに犯されたことを自ら告白したことはまだ記憶に新しい。闘病生活を送りながらも、節目節目には番組を引き締めるかのように顔を出していた。復活を願っていた私には、やはり衝撃的な事件となったのは事実である。
今は、「お疲れ様でした」と、安らかに眠ってくれることを心より願うが、彼の成し得なかったものを感じ、彼の残したもの引き継ぐのは、私のようにTVを通して接してきた人たちを含め、彼の言動に共感し、そうありたいと願った我々個人個人ではないのだろうか。
そんなことを考えながら、最後になったが、彼の冥福を心より祈りたいと思う。