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先日までの殺人的な暑さは峠を越え、やや蒸し暑さは残るものの、かなり過ごしやすくなってきた。夜には虫の音が、秋の近いのを教えるように、聞こえ始めている。
画像は“丸葉縷紅(まるばるこう)”。花の色の鮮やかさで、結構目を引く。調べたところでは、江戸時代に観賞用に持ちこまれたものらしいが、熱帯アメリカ原産で暖地を好む植物らしく、日本では本州の中部地方以西に生息しているとのこと。
温暖化の影響なのか、数年前からこの地域でも頻繁に見かけるようになったが、かなり繁殖力の強いものらしく、今では山の麓の公園などでも見かけるようになっている。生息区域が北上しているのは確かなのだろう。
丸葉縷紅(まるばるこう)、または、丸葉縷紅草(まるばるこうそう)、ヒルガオ科ルコウソウ属の一年草となる。
雨が少なく、記録的な気温上昇を齎した今年の夏。都市型形状の弊害からか、熱中症で倒れる人が多かった今年の夏。これから季節は実りの秋を迎えるが、野菜などの農作物への影響は元より、その先の冬を含めてどんな季節が廻り来るのか。そんな不安を拭い去れないまま、今年の暑い8月も、あと残りわずかで終わる。

私の部屋には、まだ“486”の名のCPUを持つパソコンがある。OSはWindows3.1と Windows95のマルチブートにしてある。SCSIの外付けHDDが2台と、5,600bpsのモデムが繋がる、高さ63cmのタワータイプ。今も現役だが、寿命ゆえに、やもなく交換したディスプレイの接続系統不足のため、その度ケーブルを差し替えねばならず、その使用にはかなり不便を強いられるようになった。それもあり、最近は使用頻度は下がってきていた。
24日の午前中のこと。あるデータを調べるため、その486マシンを久しぶりに立ち上げることになった。ディスプレイケーブルを差し替え、電源ON。「ウィーン、ガガガ」、なんともやかましいが、ちょっと懐かしいその音。しばしの郷愁。しかし、SCSI認識の段階で止まり立ちあがらない様子である。
どうやら外付けHDDの一台が動いていないようだ。カバーを外し電源を入れてみるが、小さく「ウィーンウィン」と繰り返すHDD。モーターが回りきらない感じである。かなり何度もONとOFFを繰り返したが、状況に全く変化はない。半ばあきらめ気味の私の頭を、古き“伝説”の言葉が過った。「ハードディスクは振れば直る!」。
かなり希(まれ)なのだが、HDDは古くなったり長い間使わなかったりすると、ヘッドがシッピングゾーンに引っ掛かり、シークしなくなることがある。確かに、そうした場合に振れば、その引っ掛かりが外れることがあるとは思うのだが、それが全てに通用するとは思えず、なんとも不可思議なその“伝説”である。
「そういえばTVが真空管の頃は、叩けば直る昔のテレビなんて言っていたな」などとほざきつつ、ものは試しとばかりに、そのHDDを左右にゆさゆさとしばらく振ってみる。
連れ合いの「どう見ても、ものを修理しているようには見えないわね」の突っ込みを尻目に、電源ON。「ウィーンカリカリカリ」・・・あれま!直った!
どうやらデータは無事の様子。まだなんとか現役を保てそうな、その古きパソコンであった。
マニアの間の言い伝え、実(まこと)に恐るべし。

※通常HDDに異変の兆候が見られた場合、可能ならばデータのバックアップを行ない、速やかにHDDの交換をすることを推奨する。

暑さもピークを過ぎたのか、猛暑時に比べ多少過ごしやすい気温にはなってきたが、それでも日中の室温は35℃前後。久しぶりの雨に、やっと一息と言ったところだが、予報では週末辺りからまた暑さが戻ってくるとのこと。続く暑さに、気力・体力共に使い果たしていることもあり、そろそろ秋風が恋しくなっているこの頃の私である。
写真は、“綿(わた)”の花。知人から譲り受けた種を蒔いたものだが、意外に華奢な植物なのか、虫の攻撃に結構痛めつけられている。正直、私自身は花は元より地面に生える綿(わた)自体を見たのは初めてとなる。
アオイ科ワタ属の多年草。世界に約40種類が存在するらしいが、数多いワタ属の中で、実際に繊維としての綿の生産に使われるのは数種類と聞く。中でも中央アメリカ原産の“陸地綿(りくちめん)”は、毛足が長く、世界の綿の生産量の70%を締めるという。
日本では、中国から伝わった毛足の短い“アジア綿(あじあわた)”が主流だったようだが、明治の頃に輸入された、その“陸地綿(りくちめん)”に押され、あまり栽培されなくなったらしい。
その種類の分からぬまま、我が家の裏手に植えられたこの綿(わた)。花からコットンボールへと、数本ではあるが、多少は楽しめそうである。
ぜひ枯れずに実となるところを見たいと思うが、平均気温が25℃程度と、その生育には高温の条件が必要となるらしいこの植物を、温暖化の気候変化と共に、やや複雑な気分で見守ることとなりそうである。

8月も中旬となり、今年のこの暑さもそろそろ峠を越えて欲しい思う中、猛暑を撤回した公の予報機関に異論を唱えるがごとく、厳しい残暑が続くここ数日、クーラーの類を使わない我が部屋の温度は、昨日39℃を越えた。市街地は元より、益々木々が減りつつある地域発展の方向性がやたら恨めしく思われるこの夏である。
そんな暑さから逃れるための冷房器具。変換された熱は外に排出され、さらに外気温を上げる。結果、その使用頻度はまた上がることになる。膨大なエネルギーをも消費する、そうした悪循環に加担するつもりはないが、自分の体温を遥かに越える室温には、ふと、その“自分勝手な快適空間”が羨ましくも思える。
写真は、掃溜菊(はきだめぎく)。撮影した山の麓では、6月頃から10月の終わりの頃まで咲いているのが見られるが、昨年もこの時期に載せたこの野草、“掃溜め”の名と共に、私の中では暑い夏のイメージとなっている。
エネルギーを含め、消費社会からの離脱が叫ばれて久しい中、結局その流れは止まることはなく、温暖化の加速とゴミの山が残る。戦後処理に目を向ければ、その責任の総括も終わらぬまま、再びその不安が頭をもたげ始めている。まさに“掃溜めと化した”とも言えるこの国の現状を、不本意ながらその名を持つこの野草は、どう見ているのだろう。
昔からのことわざに「掃溜めに鶴」というのがある。声高に叫ぶ「美しい日本」ではないが、“掃溜め”の現状を忘れ、表面の“鶴”のみを追いかけても意味のないことと、掃溜菊(はきだめぎく)を見てふと思う真夏の午後である。

出店、焼物のカトちゃんず 撮影日:2007年8月4日 撮影:管理人はや、立秋を過ぎた。8月になり、ようやく甲信越地方の梅雨も明けたようだが、昨年より2日、平年比では12日遅いということだ。遅れ馳せの夏の真っ盛りというところだろうが、連日の30℃を越える暑さには、さすがにへばり気味となる。
そんな暑いこの時期、各地で夏祭りが行なわれるようになる。飯田地方は昔から祭りの多い地域である。週末ともなると、必ずと言っても良いほどに、打ち上げ花火の音がどこからか聞こえてくる。元々、飯田城下を中心に小さな集落が集まっていた所、各地に点在する神社の個々の祭りが今も残っているということなのだろう。
そんな8月の第一土曜日には、“飯田りんごん”がある。以前、10月に行なわれていた、各地区の神輿が市街を練り歩いた“飯田祭り”が、近郊の地域も含めた住民達が踊り歩く、今の“飯田りんごん”と形を変えた。当初、賛否両論飛び交ったこの祭りも、来年30周年を向かえると聞き、時の流れの早さに少々驚く。
写真は、夕方から始まる“りんごん本番”の少し前。駅前から続く中央通りの様子である。すでに獅子舞や出し物で、かなり賑わっていた。2枚目は、同時に行なわれる“飯田人形劇フェスタ”の会場内で見つけた、知人である陶芸家の出店。20年の間、毎年続けて来たらしい。
「丘の上」と言われているこの市街地、空洞化によってシャッターが下りた商店が目立つようになってきた。日中、車はそれなりに走ってはいるが、街中を歩く人は少なく、なんとも心寂しい雰囲気さえ感じる時もある。再開発と称し、こんな地方都市には似合わぬビルの建設が行われ、すでに真新しい建物がお目見えしてはいるのだが、それが却って従来の街の活気に水をさす結果となっている様に思える。
この祭り、そんな市街地にとって久々の賑わいとなるが、本来の活気を取り戻さぬまま、何のための祭りかと思ってしまうのは、捻くれ者の私の悪い癖なのだろう。
夕闇の迫る帰り際、この先、この街が、この地域が一体どこへ向かうのか、そんな不安混じりの思いをよそに、スピーカーから流れる「各地区そろそろスタートしてください」の軽やかな声と共に、踊りのための太鼓演奏の音が響き渡った。

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