9月に入り、幾分日中の暑さが戻ってきたようである。それでも朝夕は、季節の変化を知らせるかのように気温の低下が見られ、雨の日の夜などは肌寒さを感じる時もある。
この時期、野草たちは花から実へと子孫を残すため変化を始めるが、温暖化による気候変動ためか、その形態に混迷が見られる。季節の移り変わりを教えるように、芽吹き、花を咲かせ、そして実を結ぶ。今まで、毎年のように繰り返してきた野草たちの生態も、その法則性を失いつつあるように思える。ここ数年、目に付くようになったその変化に、少々危機感を感じるのは正直な気持ちだろうか。
写真は8月中旬に見つけた“蘿摩(ががいも)”の花。古くから知られる植物らしく、我が国を始め、東アジアの温・暖帯地域に、広く分布しているということだ。葉・実とも薬効成分があり、滋養強壮、腫れ物、解毒・虫刺され、血止めと、用法は違えどその用途はかなり幅広い。また、若いものは実・葉とも食用になるらしいが、根の部分はアルカロイドを含み有毒ということである。
和名、蘿摩(ががいも)。有効成分は、プレグナン誘導体サルコスチン、ブレグラリン、ネタプレキシゲニン、ベンゾエルラマノン等々。別名「カガミ」・「カガミイモ」と呼ばれる、ガガイモ科ガガイモ属の多年草となる。
毎度感じることだが、名前を含み大抵の野草には人の生活と密着したものが存在する。昔はそれだけ自然が豊富だったことを意味するが、同時に、誰しもがその大切さも分かっていたようにも思う。それが当然のことのように。
植物があり、それを利用して生きる小動物がいる。それを餌とする動物もいる。植物を含め、朽ち果てた生物は大地に戻り、そこに生息するものたちの糧(かて)となる。嘗て(かつて)は人もその輪の中にいたはずである。
少々エキセントリックな考えと思われるかも知れぬが、田畑を耕しながら自然と共に生きていた時代の、緩やかな時の流れを取り戻すことが、壊れ行く環境の最善の対応策ではなかろうか。
ふとそんなことを思う9月の初め、そろそろこの地域にも実りの秋が廻ってくる。