7月も残りわずかになった。日中は連日30℃を越え、間近に迫った暑い夏を感じさせる。すでに東海地方まで梅雨明け宣言が出されたようだが、ここ甲信越地方が明けるのも、もう時間の問題だろう。
掲載の写真は野萱草(のかんぞう)の花。この時期、至る所で咲いているのが見られる。同じ仲間に、田んぼの畔などに生える八重咲きの薮萱草(やぶかんぞう)があるが、撮影した山の麓では、一重咲きの、この野萱草(のかんぞう)がほとんどとなる。
中国から伝わったらしい、萱草(かんぞう)の仲間だが、中国名「萱草」の「萱」には忘れるという意味があるらしく、古典には「萱草(わすれぐさ)」の名で登場する。中国の故事から「憂いを忘れる草」とされ、思いを忘れるために帯などに付けたようである。
「萱草(わすれぐさ)わが紐につく 香具山の古りにし里を忘れむがため」。大伴旅人(おおとものたびと)が詠んだ歌である。
そんな野萱草(のかんぞう)が咲く中、明日の29日は参院選となる。候補者を見比べながら、なんとも頭を悩ませるのが正直なところだが、私を含め、ほとんどの無党派層は、その選択に、決め手がないのが実状かと思う。
「まだ見ぬ世代のために」。昨夜、病気療養中のニュースキャスターが、自分の出ていた番組内で、声だけのメッセージとして伝えていた。
まだ見ぬ世代の人々に、何を残せるのか。己達が滅した後、どんな環境と、どんな社会が残るのか。今を生きる我々一人一人の言動は、後々に大きな意味を持ってくるのは確かだろう。
萱草(わすれぐさ)に託し、この先の“憂い”を一切忘れるという訳にはいかないことは無論だが、我々の無知と無関心、さらに、運営する者達の質の低下が作ってしまったこの現状を、いつかは変えられるものと、その期待は半分以下としても、まずはその第一歩として、重い腰を上げる必要はありそうである。

7月も終わりに近づき、そろそろ西日本の辺りから、梅雨明けの便りが聞こえ始めた。空梅雨といわれた今季だが、その割に雨の日が多いように感じている。そのせいか、夏野菜などの農産物に日照不足による影響が出ていると聞いている。
掲載の写真は、22日の日曜日に山麓で見つけた“にいにい蝉(にいにいぜみ)”である。割と早めに地上に出て来るらしく、山の麓では6月中旬頃から鳴き声が聞こえ始める。
「閑(しずか)さや 岩にしみ入 蝉の声」。奥の細道で詠われた、松尾芭蕉の有名な句だが、この“蝉(せみ)の声”とは、“にいにい蝉(にいにいぜみ)の声”という説が有力のようである。“油蝉(あぶらぜみ)”か“にいにい蝉(にいにいぜみ)”かの論争が巻き起こり、結果、“にいにい蝉(にいにいぜみ)”に軍配が上がったということらしい。
その芭蕉に「岩にしみ入」と詠わせた、独特の、頭の中に響き渡るようなその鳴き声は、暑い夏が始まる証ともいえる。
どうやら、そろそろこの山麓にも、夏の足音が聞こえ始めたようである。

巨大な台風も遠ざかりつつあった日曜日。雨も上がり、雲の切れ間から日差しが漏れ始めていた。先日痛めた我が腰の痛みも、やや沈静化の兆し。久々の山麓散策となる。
写真は大葉蛇の髭(おおばじゃのひげ)である。毎年のように撮影している野草だが、今年は勢力を伸ばしたのか、昨年はあまり見られなかった場所にも、群生するように咲いていた。背は低く、日陰を好むためか、あまり目立たないが、近寄ってよく見れば、結構可愛らしい花である。
大葉蛇の髭(おおばじゃのひげ)。百合(ゆり)科ジャノヒゲ属、常緑の多年草となる。
九州地方を中心に、太平洋側に大きな爪痕を残した巨大な台風4号。まだその記憶が真新しい中、新潟を襲った大地震。今年も、災害多き一年なるのかと、かなりの不安な気持ちになる7月の中旬となった。
こうした災害時には、TVなどで連日のように被災地の状況が伝えられる。その報道姿勢に、ワイドショー化して行く日本のTV報道の実体が見て取れる。公共放送と称する局の変貌ぶりは最たるもので、到底、国民から集めた視聴料で運営している局とは思えないほどである。
インターネットが普及した今でも、TV報道の影響は大きい。何を取材し、何を伝えるのか、そこが一番重要と思うのだが、今回の地震で、火災を起こした柏崎刈羽原発の放射能漏れの実体を、電力会社の公表に疑問を呈する形で、トップニュースとして報じ、過密状態の避難所の状況を、被災者の立場に立って、問題点を指摘したのは、昨夜私が見た限りでは、民放の1社だけであった。
なんとも嘆かわしく感ずるのは、捻くれ者の、私の物の見方のせいだけではないと思うが、「ニュースに騙されるな!」と、どこぞのTV番組ではないが、そんなことを叫びたくなる昨今である。
最後となったが、今回の台風被害、新潟の地震の被害にあわれた方々に、心よりのお見舞いを申し上げたい。

サイトのSNS “Town’s MaX”にも載せたことだが、先週の土曜日、窓に簾(すだれ)を取り付けていて、不覚にも、また腰を痛めてしまった。
軽度のものは、何回か経験済みのためか、かなりの痛みを感じながらも、やや軽く見ていた自分がいる。
写真は、初夏の山麓風景。夏に向けて、木々の葉の色は力強さを漲らせ、野草たちは周りを覆い尽くすように茂り始めていた。この撮影、腰を痛めた次の日となるのだが、このおろかな行動が、さらに腰痛を悪化させることとなる。
現在、撮影はおろか、パソコン作業も辛い現状に、この盆地に吹く風の更新が滞る可能性を予感しつつ、蒸し暑い夏を前に、納涼の意味も兼ねて、今回は異例の腰痛ブレイクとなる。

早いもので、7月も2日が過ぎた。今年もすでに半年が経過したことになるが、暖冬から始まり、やや不安のまま入梅。予報では空梅雨といわれていたが、このところ、以外と梅雨らしい天候が続く飯田地方、今日も朝からシトシトとした雨となった。
掲載の画像は、6月の中旬撮影の、苗代苺(なわしろいちご)の花と、7月1日撮影の、その実である。苗代(なわしろ)が作られる頃に、赤く熟した実を付けるため、その名が付いたといわれているが、7月を迎え、見かける水田は、苗代作りは元より、すでに田植えまで終わり、植えられた稲は、青々と茂り始めている。苗代(なわしろ)の名を持つこの苺だが、その名の付いた時代と今の時代と、苗代作りの時期が多少ずれるのか、ようやく赤い実を付け始めたようだ。
この苺、野生の物の中では味は良い方である。できることなら、撮影ついでに採取したいところだが、花のマクロ撮影をした場所では、まだ時期が早いのか、或いは、環境が合わないのか、実を付けたものは見られなかった。知人から借りている、望遠デジカメにより、離れた場所でもなんとか撮影だけはできたが、見える苺に心が残ったのは確かである。
手に入れられる時もあれば、手に入れられない時もある。やはり、それが“自然の恵み”というものなのだろう。