7月も残りわずかになった。日中は連日30℃を越え、間近に迫った暑い夏を感じさせる。すでに東海地方まで梅雨明け宣言が出されたようだが、ここ甲信越地方が明けるのも、もう時間の問題だろう。
掲載の写真は野萱草(のかんぞう)の花。この時期、至る所で咲いているのが見られる。同じ仲間に、田んぼの畔などに生える八重咲きの薮萱草(やぶかんぞう)があるが、撮影した山の麓では、一重咲きの、この野萱草(のかんぞう)がほとんどとなる。
中国から伝わったらしい、萱草(かんぞう)の仲間だが、中国名「萱草」の「萱」には忘れるという意味があるらしく、古典には「萱草(わすれぐさ)」の名で登場する。中国の故事から「憂いを忘れる草」とされ、思いを忘れるために帯などに付けたようである。
「萱草(わすれぐさ)わが紐につく 香具山の古りにし里を忘れむがため」。大伴旅人(おおとものたびと)が詠んだ歌である。
そんな野萱草(のかんぞう)が咲く中、明日の29日は参院選となる。候補者を見比べながら、なんとも頭を悩ませるのが正直なところだが、私を含め、ほとんどの無党派層は、その選択に、決め手がないのが実状かと思う。
「まだ見ぬ世代のために」。昨夜、病気療養中のニュースキャスターが、自分の出ていた番組内で、声だけのメッセージとして伝えていた。
まだ見ぬ世代の人々に、何を残せるのか。己達が滅した後、どんな環境と、どんな社会が残るのか。今を生きる我々一人一人の言動は、後々に大きな意味を持ってくるのは確かだろう。
萱草(わすれぐさ)に託し、この先の“憂い”を一切忘れるという訳にはいかないことは無論だが、我々の無知と無関心、さらに、運営する者達の質の低下が作ってしまったこの現状を、いつかは変えられるものと、その期待は半分以下としても、まずはその第一歩として、重い腰を上げる必要はありそうである。