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冬枯れのサイクリングロード 撮影日:2006年11月26日 撮影:管理人冬枯れのサイクリングロード 撮影日:2006年11月26日 撮影:管理人昨年にも増して早い冬の訪れを感じる今季、山麓を彩る紅葉の季節はすでに終わりを迎えているが、冬に向かう山の麓は、その静寂さもあって結構好きな場所となる。11月とはいえ、キンと冷えた空気は冬枯れの風景と共に心の中にまで染み入ってくるかのようである。
写真は山麓公園北側の“妙琴ツツジ園”を通る“サイクリングロード”と、そこから見た山の風景である。
この撮影の時、散歩をしている60代と思われる男性と遭遇した。どちらからともなく声をかけ、変わりつつある季節のことを話したのだが、別れ際の「我々の時代はまだ良いが、孫の代になったらどうなるのか分からないな」という彼の言葉が心に残った。
冬枯れのサイクリングロード 撮影日:2006年11月26日 撮影:管理人誰しも異変には気付いている。しかし、その責任を我々自身も背負っていることは忘れがちになる。
個人として、地域として、国として、そして世界として、子の代・孫の代にどんな環境を残してやれるのか、今を生きる全ての人々の解決すべき重大な課題となる。

晩秋に咲くホトケノザ 撮影日:2006年11月19日 撮影:管理人晩秋に咲くホトケノザ 撮影日:2006年11月19日 撮影:管理人11月も中旬を過ぎ、冬を前に益々寒さが増しているように感じるこの頃だが、昨今の気象の変化のせいもあるのか、今の気温が例年に比べ高いのか低いのか、よく分からなくなっている自分がいる。そんな中、先日から気になっている道沿いの畑がある。
その畑、夏には背の高いトウモロコシが植えられる。夏が終わる頃刈り取られ広い畑が顔を出すのだが、今年、秋の終わり頃から、ピンク色の花を付けた小さな野草が覆い尽くしている。近づいて初めて分かったが、その正体は“ホトケノザ”。春の野草としてはかなり有名なものだが、秋の終わりにこれほど群生するものなのだろうかと、我が目を疑ったのは事実である。今年も秋に芽を出す野カンゾウ 撮影日:2006年11月15日 撮影:管理人
昨年、やはり秋の終わりに、山の麓の斜面で“野カンゾウ”が一斉に芽吹いたのを見た。やがてそれは枯れて次の春まで芽を出すことはなかったのだが、秋の終わりに見る新芽の緑に、かなりの違和感を覚えたのは確かである。
こうした野草たちの動きが何を意味するのか分からないが、彼らが、今までとは違う何かを感じ取っているのは確かなようである。自然のアンテナを失った我々には、そんな野草の変化からその意味するものを掴むのは困難だが、せめてこれ以上環境を変化させないため、その要因となるものを減らす努力はするべきだろう。
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がある。その人事も尽くさぬまま、自然の降す天命を待たねばならぬことだけは避けたいものである。

妙琴公園の紅葉 撮影日:2006年11月15日 撮影:管理人妙琴公園、入り口付近の紅葉 撮影日:2006年11月15日 撮影:管理人11月というのになんとも寒い朝が続いている。昨年は12月に降雪があったのを思い出すが、今年もこの県(長野県)の北の方ではすでに初雪が観測されたと聞く。これが普通とも思えないが、立冬を過ぎ、暦の上ではすでに冬、今季の秋も知らぬうちに終わったかのように思えるこの頃である。
そんな気候の中、そろそろかと思いモミジの様子を見に山麓公園まで。このところ続く寒暖の差にやや期待はあったのだが、まだ早かったのか、或いは木によって葉の色付きの時間差があるのか、目に入ったその風景はやや鮮やかさに欠けていた。それでもこの時期のモミジの葉は秋の象徴。その終わりの時期を前に、ようやく佳境に入った山麓公園のモミジをカメラに収めることにした。紅葉、モミジの葉のアップ 撮影日:2006年11月15日 撮影:管理人
今年、その急激な冷え込みのためか色付く前に葉を落とす木が目立つ。今一つ鮮やかさに欠けているように感じたのは、多分そのせいもあるのだろう。温暖化が続けば広葉樹は減っていくという。葉を落としきれない木が多かった昨年、色付く前に葉を落とす木が目だつ今年。秋の紅葉は、元気な広葉樹のバロメーターとも言える。
この先ずっと色鮮やかな木々の演出を見られることを願いながら、晩秋の山麓公園を後にした。

ダム湖近くの山の紅葉 撮影日:2006年11月12日 撮影:管理人ダム湖の紅葉 撮影日:2006年11月12日 撮影:管理人低気圧の影響なのか、風が強くかなり荒れた天候が続く。日曜日の今日、その風のせいなのか気温は上がらず、初冬を思わせる一日となった。
山の頂上付近で始まった木々の彩りもようやく麓に下りてきたようだが、日頃訪れる山麓公園でも、モミジなどの木々の葉がくすんだ色から鮮やかなものへと変わり始め、秋の終わりとそこまで来ている冬の到来を告げている。秋色に飾られたモミジが、麓の公園を覆い尽くすにはもう何日もかからないだろう。ダム湖の紅葉 撮影日:2006年11月12日 撮影:管理人
その山麓公園のモミジは次回以降に掲載することとし、その近くを流れる川、“松川(まつかわ)”の上流にある松川ダム辺りの紅葉を載せることにする。
上水道の水源の一つとなっているこの川、取水口辺りの水質が低下したと聞く。そのため、近くの支流からも水を取り始めたようだが、補填の意味での別ルート確保は仕方がないにしても、その原因はきちんと探るべきだろう。
山の荒廃は野生動物生態を変え、当然だが、それは人の生活にも多大な影響を与える。人が壊し変えてしまった環境。元に戻すには気の遠くなるような時間と膨大な労力が要る、それは以前から言われていたことである。
一見、昔と何も変わらないように見える木々の彩りに、ふとそんなことを思う。

カバーを空けたところ 撮影日:2006年11月10日 撮影:管理人妻の使用するパソコン 撮影日:2006年11月10日 撮影:管理人妻が使用しているパソコンはわが家では一番新しい。先日からそのパソコンが不調である。立ちあがらないのだ。電源を入れると“ピーポーピーポー”と警告するように鳴り始める。まるで救急車である。
ケースのカバーを外し、ヘアードライヤーなどで軽く暖めると、なんとか立ちあがる。しかし、それもいつまで通用するのか・・・。
十数年以上前になるが、それまで国内メーカーのパソコンを使っていた私は、初めてDOS/V マシンと言われる物に手を染めた。その時から、使用するパソコンは全て自分で部品を選び組み上げる、いわゆる“組み立てパソコン”となった。
この妻のパソコンも“組み立てパソコン”。年齢的にも自分で組み立てるのが少々億劫になってきたのもあり、部品調達とその組み立てを地元のショップに任せた、一応“ショップブラント”となる。使用しているOSは WindowsME。約5年前の話しである。
症状からマザーボードの不具合と判断した私は、ショップにてその旨を伝えるが、「Socket370」を使うマザーなどはすでにない。CPUを変えることも視野に入れ、安価で手ごろなマザーはないかと聞いてみたのだが、チップセットが変わるためOSも入れ直す必要があるという。しかも昔のOSは最近のマザーの場合入らない可能性もあるとの答え。まるで、古いものをいつまでも使っている自分が悪いような気さえ起こさせる。しかし、まだ5年である。
戦後、消費は美徳とばかりにゴミの山を作りつづけてきた現代社会。結果、環境は壊れ地球温暖化を進める要因の一つともなった。技術の進歩を止めろとは言わないが、京都議定書発効以来、我が国の二酸化炭素排出量は、削減するどころか、いまだ増えつづけている。竜巻など、昨今の荒れた天候や、極端に感じる寒暖の差は、その温暖化の結果である。当然だが、それは年々強まってくる。
そうした現実を直視して、経済を含め、今まで人の作り上げた全てのシステムを見直す必要を強く感じる。せめて現時点で使っているもの、多少くたびれていても今後も使っていけるものは使いつづけられる“経済の速度”、それでも成り立っていける“経済のシステム”を、早急に作り上げる必要はあるだろう。あくまでも、“せめて”なのだが。
ちなみに私が仕事で使っているパソコンのマザーボードも「Socket370」を使用している。OSはさらに古い Windows98である。動かなくなればそれで終わりとなる。
なんとなく、僻み(ひがみ)ともとられそうだが、今日も、朝夕を問わず、妻のパソコンの立上げに奮闘する私である。

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