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大願時の南天(なんてん) 撮影日:2006年12月27日 撮影:管理人大願時の南天(なんてん) 撮影日:2006年12月27日 撮影:管理人今年も大晦日を残すのみとなった。
温暖化の現象なのか、昨年同様に秋の存在がかなり薄れたように思い、今後の気象状況に、大きな不安を感じさせた今年の後半だった。
ニュース報道などでは、悲惨な事件を多く耳にし、大きくなる一方の現代社会の歪を垣間見た気にさせられたが、そんな中、国の指針が全く見えないまま、新たな政権が誕生した。
そんなこんなの2006年も後一日で終わる。新たに訪れる年に微かな期待を抱きながら、「難を転ずる」の意味から、今年も南天(なんてん)の写真を載せる。
全ての人々に、より良い年が訪れることを心より願いながら、これが2006年最後の投稿となる。

蒸かす 撮影日:2006年12月24日 撮影:管理人ザルに上げた緑米 撮影日:2006年12月24日 撮影:管理人今年もあと数日で終わる。正月に向けて、年末に行なわれる風習の一つ、餅つき。昔は臼と杵を使い、家族総出の一大行事だったが、核家族化が進む中で、そうした餅つき風景はほとんど見られなくなった。しかし、元より餅好きの民族、その文化は形を変え、いまだ健在のように見える。年末が近づくにつれ、店頭には出来合いの餅が並び、新聞の折り込みチラシには電動の餅つき機が目に付くようになる。
昨年は“のんび荘(※1)”で行なわれた餅つきに参加させてもらった我が家だったが、今年はその時間が取れず断念。その代わりではないが、先日、新たに餅つき機を買った。
そんな訳で年末の風景“餅つき”の電動餅つき機編。久々復活のコーヒーブレイクとなる。

回す、もとい!つく 撮影日:2006年12が26日 撮影:管理人 つく前に剥ったおこわ 撮影日:2006年12月24日 撮影:管理人 焼いた玄米餅 撮影日:2006年12月24日 撮影:管理人

我が家のもち米は“農園さくら(※2)”の生産する古代米、“緑米”である。その“玄米餅”に挑戦した。
玄米ということで、約一日とやや長めに吸水させ(農園さくら指導)、しっかり水を切って通常通りの餅つき工程となる。餅つき機ということで少々心配したが、緑米の持つ甘味と旨みと、玄米独特の風味が漂う絶品の出来となった。特に、伸し餅にして焼いて食べれば、なんともいえぬ芳ばしさが香りと共に口に広がる。その味は通常の餅とは比べ物にならず、病み付きになりそうな感さえある。
なお、この時に蒸かし上がった緑米を“おこわ”として食べるのも、やはり病み付きになるほど“いける”のだが、そこであまり欲張って剥(へつ)ってしまうと、餅の量が減り後で泣きを見るので注意が必要。やはり、つまみ食い程度がベストのようである。

※1:[スローライフ]→[スローフードにこだわる]→[蕎麦]参照
※2:[スローライフ]→[スローフードにこだわる]→[野菜作りと古代米]参照

凍った川 撮影日:2006年12月20日 撮影:管理人凍った川 撮影日:2006年12月20日 撮影:管理人さすがに12月も中旬を過ぎると、朝には氷点下に落ちる日が出てくる。今年は暖冬ということだが、秋が短く、その気温低下の早さのためか、例年に比べ、やや寒さが厳しいように感じてしまう。改めて人の体感温度の不確実さを痛感するが、それでも氷点下ともなれば辺りには寒々とした風景が広がり始める。
写真は山麓公園の横“松川(まつかわ)”に見つけた氷である。渇水期ということもあり川の流れは少ないが、薄っすらと張った氷がすでに冬の季節に入っていることを実感させる。冬の背高泡立草 撮影日:2006年12月20日 撮影:管理人だが、先日の仏の座(ほとけのざ)や、姫女苑(ひめじょおん)ではないが、その近くに咲く“背高泡立草(せいたかあわだちそう)”は温暖化による気候の異変を教えているかのようである。
今日は冬至(とうじ)。昼が最も短く、夜が最も長い日とされる。冬至(とうじ)とは二十四節気の一つで、12月22日頃、または、この頃から小寒までの期間をいうらしいが、北半球では太陽の南中の高さが最も低くなり、そのため昼が短く夜が長くなるということのようである。
昔からこの日に“柚子湯”に入り、カボチャを食べると風邪をひかないといわれている。“柚子湯”とはご存知の通り柑橘類の“柚子”を浮かべた風呂のことだが、柚子の持つ芳香成分“精油”のはたらきにより、身体が温まり血行促進の効果があると聞く。知人から送られてきた柚子 撮影日:2006年12月21日 撮影:管理人カボチャは冬の貴重な緑黄色野菜。カロチンを多く含み、この時期不足勝ちになるビタミン補給には持って来いということなのだろう。昔から慣わしとして行なわれて来たことだが、その理に適った内容にはさすがに感心させられる。
先日、知人から柚子を始め、レモン・キウイなどが届いた。それもあり、一日早かったが昨夜は柚子湯となったわが家。香りも然ることながら身体の芯から温まり、腰痛持ちの私にはこの上もない御馳走となった。
送ってくれた知人に感謝しながら、昔からの慣わしが持つ意味の深さと、先人たちの知恵に、改めて驚嘆させられたのは確かである。

雪の南アルプス 撮影日:2006年12月10日 撮影:管理人雪の南アルプス 撮影日:2006年12月3日 撮影:管理人木曽山脈(中央アルプス)と赤石山脈(南アルプス)、両山脈に囲まれ南北に長い伊那盆地。その南端位置する飯田地方のほぼ東の方向に赤石山脈はある。合併により同市となった上村、遠山郷からの眺望には遠く及ばないが、我が生息地域の近辺からも赤石岳を始め、南アルプスの一部を見ることができる。間にある近隣の山々が視界を遮り、全貌といかないところは少々残念だが、その山々の上から顔を覗かせる雄々しくも険しい姿が確認できる。冬の、よく晴れた日などは、雪のため白く彩られた頂が青空に浮かび上がり、えもいわれぬ景観を見せてくれる。
写真は、風越山麓近くから続く農免道路と、飯田市松尾にある“城址公園”から撮影した雪の南アルプス。友人から借りている一眼デジカメの力により、初めて可能となったズームアップ。こうした風景は久々の撮影となるが、日頃何気なく見ているその景色に、改めて山々に囲まれたこの地域を実感できる時でもある。
雪の南アルプス 撮影日:2006年12月10日 撮影:管理人最近ニュースなどで知った“夕張市”の財政破綻。その可能性は囁かれながらも、実際に起こった自治の破綻にはかなり驚かされた。
経済の落ち込みにより減ってゆく税収。その穴埋めのように進む市町村の合併。税確保の為に近隣を抱え込む側と助け舟欲しさにそのまま吸収される側、その思惑は様々だが、いまだに“無駄”と思える公共事業が後を絶たないように見えるのも事実である。
なんとも釈然としないというのが正直な気持ちだが、図体が大きくなればそれだけ多くの無駄ができ、小回りが効かなくなることは確かなことと思える。明日は我が身、我が地域という訳ではないが、各地方自治のリーダー、並びに、運営側の真価が問われるのは確実だろう。しかし、それを選ぶのは我々個人個人であることも忘れないようにしたい。
そんな人の世の浮き沈みをよそに、山は盆地を見下ろすかのごとくあくまで雄々しく聳え立つ。麓に居るものに、厳しい試練と大きな恵みを与えながら。

山茶花(さざんか) 撮影日:2006年12月17日 撮影:管理人山茶花(さざんか) 撮影日:2006年12月17日 撮影:管理人前回投稿の、狂い咲きの姫女苑(ひめじょおん)は別とするが、この時期に花を付けるものとして“山茶花(さざんか)”がある。花の少ない時期に咲くためか、昔から庭や生け垣に植えられることが多い。かつては椿(つばき)と同様、種子から油を採る目的で栽培されていたらしく、庭などに植えられたのはその意味もあったのだろうか。
原産地は日本。本来の野生種は西日本から沖縄の西表島などにかけて、分布しているようである。
山茶花(さざんか) 撮影日:2006年12月17日 撮影:管理人写真は飯田市街地にある公園内のもの。昨年は急激な気温低下のためか、開くことなく落ちてしまった蕾を多く見かけたが、それでも残った花は寒風の中で必至で咲き、人影のない寒々とした公園を飾っていた。
今年、すでに木の根元には散った花びらが散乱し、寒さのためか枯れたように萎(しお)れたものも見うけられたが、なんとかその花は健在のようである。ただ、街中の公園という環境のせいなのか、昨今の気候変動のせいなのか、年々その勢力が衰えていくように思えるのはやはり気がかりではある。
この辺りの公園はまだまだ季節を感じることができる。再開発と称して益々都市化が進む中、せめて季節を告げる植物が存在できる、そんな発展のさせ方をしていって欲しいものと願う昨今である。

~以下は例によってネットで仕入れた情報~
和名   :山茶花(さざんか)
別名・異名:カタシ/ヒメカタシ
学名   :Camellia sasanqua Thunb.
英名   :sasanqua
植物分類 :ツバキ科ツバキ属
原産地  :日本(山口県/四国西南部/九州/沖縄)
花言葉  :理想の恋い(白)/謙遜(赤)

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