冬枯れの山麓 撮影日:2006年12月6日 撮影:管理人冬枯れの山麓 撮影日:2006年12月6日 撮影:管理人12月に入って最初の投稿となる。
今日、12月7日は二十四節季の一つ“大雪(たいせつ)”。本格的な降雪が始まる頃とされているが、長野県でも南部にあたるここ飯田地方に、まとまった雪が見られるのは年を明けた1月の中旬頃からとなる。
昨年は、12月早々にかなりの雪が降り、驚いた記憶がある。今年は、先日風越山(ふうえつざん)に初冠雪が確認されたというのは聞いたが、今のところ、麓も含めて積もるような雪は降ってはいない。しかし、どんよりと曇り、寒々とした今日の空模様は、“大雪(たいせつ)”の名の通り、本格的な雪の季節に入ったことを強く感じさせる。冬枯れの山麓 撮影日:2006年12月6日 撮影:管理人
掲載の写真は山麓公園の脇から山の頂上に向かってやや上った川沿いの場所。葉の落ちた木々と、枯れた草の間を流れる小さな川が、冬特有の色を醸し出していた。春とは違い、自然の奥底にある秘めたエネルギーを感じることが出来るこの時期に、山の中に身を置くのは、その静寂さも手伝って結構心地良いものだ。
覆っていた草や葉が消え、夏場見えなかったものが見えるようになり、まるで来春に向けて自然界の初期化の時とも思えるが、長い時の流れの中で受け継がれて来たものは、きっちりと土台として残っている。
昨今聞こえる政界の茶番劇。一見、真と偽が見え難くいように思うが、内容は単純なものである。報道する側とされる側、それを受けとめる側も含め、一旦“余分な葉”を落とし、全ての初期化を考えた方が良いのだろう。そうすれば本来の土台は見えてくるはずである。基にどんな土台があるのか、その方が重要な事柄となる。