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玉紫陽花(たまあじさい) 撮影日:2006年8月1日 撮影者:管理人玉紫陽花(たまあじさい) 撮影日:2006年8月8日 撮影者:管理人梅雨に花開く紫陽花(あじさい)達はすでに花の時期を終えているが、遅れ馳せに咲く玉紫陽花(たまあじさい)は今真っ盛りである。
蕾は球状で、その中に全てが入っている。そのことからその名が付いたようだが、球状の蕾が日を追って割れ、花が開いていく様は結構面白いものだ。咲いた花は額紫陽花(がくあじさい)とよく似ている。他の紫陽花(あじさい)同様、ユキノシタ科アジサイ属の多年草である。

玉紫陽花(たまあじさい)の蕾 撮影日:2006年7月29日 撮影者:管理人 玉紫陽花(たまあじさい)蕾から花へ 撮影日:2006年7月29日 撮影者:管理人 玉紫陽花(たまあじさい)蕾から花へ2 撮影日:2006年7月29日 撮影者:管理人

 
梅雨明け後猛暑が続くここ数日、この玉紫陽花(たまあじさい)の花が終わる頃、徐々に秋の気配が漂い始める。昨年の秋から続く異常気象を思い、本格的な収穫の時期を前に今後の気候の状態が気になる昨今である。

掃溜菊(はきだめぎく) 撮影日:2006年8月8日 撮影者:管理人掃溜菊(はきだめぎく) 撮影日:2006年8月8日 撮影者:管理人梅雨が長く夏の訪れが遅かった今季、まるでそれを取り返すかのように暑い日々が続いている。
猛暑と思えるこのところの暑さ、日中木々が少なくアスファルトだらけの市街地などは歩けたものではない。いつも都市型市街地の弊害を感じながら、木があり草があるそんな街を望む昨今だが、現実に進みつつあるその方向はかなり違うようである。
それもあり、つい山の麓に安らぎを求めたくなるが、管理側を含め、そこもまた人々の思い違いによる弊害が増え始めているここ数年である。
そんな中、今年も山の麓の公園脇で掃溜菊(はきだめぎく)を見つけた。なんとも気の毒な名が付いているが、世田谷の経堂(きょうどう)にある掃溜めで見つかったため付いた名と聞く。中央・南アメリカ原産で、大正時代に日本に入ってきた気化植物ということだ。現在は本州の関東以西で見ることできる。
掃溜菊(はきだめぎく)、キク科コゴメギク属のたぶん一年草。掃溜めで見つかったことから、窒素分の多い地に生えると思われるこの野草。変わりつつある環境と人々の振舞いを、その脇から涼しげに見ているのだろうか。
発生している問題点を目の当たりにしてもその方向を変えられぬ現状に、今の経済システムの欠陥と、人の愚かさが見え隠れする。

姫藪蘭(ひめやぶらん) 撮影日:2006年8月1日 撮影者:管理人姫藪蘭(ひめやぶらん) 撮影日:2006年8月1日 撮影者:管理人昨日、8月8日は今年の立秋となる。暦上ではこの日から秋に入ることになるが、実際には残暑が厳しく一年で最も暑い時期になる。この立秋までに梅雨明けが認められない場合、その年は“梅雨明けなし”とされるようである。
例年より梅雨明けが遅かった今季、夏の声と共に立秋が来てしまった感がある。それでもこれを境に人々から出される暑さの見舞い状は、“暑中見舞い”から“残暑見舞い”に変わることになる。
写真の野草は姫藪蘭(ひめやぶらん)。この時期、蛇の鬚(じゃのひげ)とよく似た葉の間に薄紫色の小さな花を付ける。蘭(らん)の名を持つがユリ科ヤブラン属の多年草である。
秋が短く、冬の到来が早かった去年だったが、夏の終わりから秋に向かって本格的な収穫時期を迎える日本列島、その変動は大きな意味を持っている。
立秋を過ぎまだまだ残暑の続く中、今年はどんな秋が廻ってくるのか、やはり気になるのが正直なところである。

合歓木(ねむのき) 撮影日:2006年7月30日 撮影者:管理人合歓木(ねむのき) 撮影日:2006年7月30日 撮影者:管理人これも温暖化の影響なのだろうか、連日35℃を越える猛暑が続いている。
写真は合歓木(ねむのき)である。夜になるとゆっくりと自分で葉を閉じ、それがまるで眠るように見えるため「眠りの木」となり、それがやがて「ねむの木」に変化したと聞く。漢字では「合歓木」と書くが、これは中国名のようである。
本日、我が県の知事選があった。前回を下回る投票率もあってか、組織票に頼る新人の当選が確実になったようである。政治的な要素に触れるつもりはないが、自然や山の森林を守る重要性を訴え続け、高齢化社会に対してもその道筋をきちんと示していた現知事が降板となるのは非常に残念である。
実際、高齢化が進み経済格差が広がりを見せている現状と、温暖化の影響が大きくなり、自然や山の持つ力が益々必要とされている昨今、新知事には現知事のやり残した課題を是非進めていって欲しいと願うだけである。
目を閉じて待っているだけでは現状は後退してしまう。夜眠るがごとく葉を閉じる合歓木(ねむのき)が昼はきちんと葉を開くように、この伊那の盆地に吹く風が淀まずにさわやかに吹き抜けるためにも、自治のあり方を含め、地域の現状と変貌、周りを取り巻く自然の変化など、目の前の経済の浮き沈みに一喜一憂せずに、しっかりと目を開き長いスパンで見ていきたいものだ。
さすればおのずとその道も為すべきことも見えてくるはずである。それはどこの地域でも、国に対しても全く同じことだろう。

高台の公園から見た棚田 撮影日:2006年7月30日 撮影者:管理人8月になり、いよいよ厳しい暑さが続くようになってきた。どうやら、東北方面の梅雨も明けたようである。
撮影のため時折訪れる城址公園。川を隔てた反対側も公園になっている。
いくぶん整備され過ぎているところが少々気になるが、高台に位置するゆえの風景は結構気に入っている。
遠く山並みの向こうには南アルプスが頭を覗かせ、眼下に棚田の風景を見ることができる。その棚田には、青々とした稲が元気そうに見える。
不穏と不安の渦巻く昨今の社会の中、そこから切り離されたような景観にしばし見とれていた。こうした風景、やはり心が和む。
この撮影に使用したカメラは、ネットで知り合った友人から借りているもの。画素数こそ200万画素と我が安デジカメと同じだが、光学12倍ズームの威力はなかなかのものがある。
ただ、三脚を使わない私には、その撮影は結構難しかったりするのだが。
そんな友人に感謝しながら、その棚田の風景を載せることにする。

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