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梅の実梅の実以前このサイトへの掲載のための取材をさせてもらった農園(当サイト[スローフードにこだわる]の「野菜作りと古代米」参照)から、今年も“完熟梅”を分けてもらうことができた。
秋から冬の異常と思える気候のせいなのか、例年より収穫の時期が遅いということだが、枝にはたわわに実った梅の実が、茂った葉の間から顔を覗かせていた。
その実はまだ青く見えたが、すでに採りごろを過ぎているらしく、木の下には落ちた実が無数に転がっている。それが勿体無くも感じたが農園のご主人の薦めで、木から直接もがせてもらった。
この梅という作物、出荷するためには完全無農薬という訳にはいかないと聞く。しかし、ここでは多くても一回の使用に止めているということである。今回採らせてもらった梅の木は無農薬。そのためかやや痘痕はあるが、大きさといい、その熟れ方といい申し分はない。しかし、見た目の問題もあるのかこれでは規格外で出荷できないのだという。その規格自体にも疑問を感じざるを得ないが、その手間と労力を考えればかなり辛いことだろう。
流通販売の機構そのものにも問題点はあるのだろうが、消費者の無知さもそれを後押ししているように感じる。環境は元より、食というものの安全を踏まえ物作りに挑戦している彼ら農業従事者たちの、目に見えない努力に応えるためにも、せめて己でその良否を判定できる知識と感覚、そして彼らの背負ったリスクくらいは分かり得る目を持っていたいと思う。
農業国日本、作物の自給率は極めて低い。それは歴然たる事実である。それを高めるためには消費者自身の意識の向上は不可欠となってくる。自然と農、資源の少ない我が国の最大ともいえるこの資源を、後世まで伝え残していけるかどうか、今を生きる我々の責任はかなり重いと言える。

※今回採るのに夢中になり梅畑での撮影は出来ず終い。一枚目の画像は昨年のものとなる。

毒痛み(どくだみ)の花毒痛み(どくだみ)先日からデータベースサーバーとの接続ができず、少々イラついた日々が続いたが、復旧後の最初は、この時期によく見かける毒痛み(どくだみ)の花を載せる。
この野草、初めはその臭いから毒草と判断されたらしく、毒を溜める(ためる)という意味から毒溜み(どくだみ)と言われたことがその名の由来とされるが、そのせいか、人にはあまり好まれない野草のようである。現在は毒を矯める(ためる)の意味に変わっているらしい。
漢方では十薬(じゅうやく)とも呼ばれ、馬に与えると10種類の効能があると言われるが、現の証拠(げんのしょうこ)や千振(せんぶり)と同様に、薬草として民間薬に利用されるのは結構有名である。
白く花びらのように見えるのは苞片(ほうへん)と呼ばれるもので、葉が変化したもの。中心の穂のように見えるところが花で、そこに雄しべと雌しべがある。
梅雨時、日陰の湿気の多い場所に群生するように咲くこの毒痛み(どくだみ)だが、その強い香りと共に結構好きな野草の一つである。
6月も残り一週間を切り、そろそろ今年の梅雨も末期を迎えることとなるが、降れば豪雨の昨今、その雨はすでに九州地方を襲っている。
これから、そういった被害は益々心配される時期となるが、半ば人災とも言える昨今の自然災害に、壊した環境のことも気付かず未だ経済中心に突っ走ろうとする今の社会では打開策を見つけるのは難しいだろう。
そんな社会を目覚めさせる十薬(じゅうやく)はないものだろうかと、この毒痛み(どくだみ)に聞いてみたい気分になる。

吸葛(すいかずら)吸葛(すいかずら)吸葛(すいかずら)6月21日は夏至である。
二十四節気のひとつとされ、北半球では一年の中で昼間の時間が一番長い日となる。
「夏に至る」と書くこの夏至だが、日本列島のほとんどは梅雨の真っ只中、長い昼間の割に日照時間が短いこととなる。
写真は吸葛(すいかずら)である。5月の終わり頃から6月の終わり頃まで見られるが、咲き初めの白から日が経つにつれ黄色に変わってくる。そのため、“金銀花”とも呼ばれるようだが、葉を落とさず常緑のまま冬を耐えることから“忍冬(にんどう)”の別名も持っている。
この吸葛(すいかずら)という名、花の管状になった細い部分から甘い蜜を吸ったことから付いたということだが、子供の頃、蓮華(れんげ)や赤詰草(あかつめぐさ)などの花を抜き、その蜜を吸ったことが思い出される。
いよいよ沖縄辺りでは梅雨が明けたようである。そろそろ日本の梅雨も末期に入るが、昨今の豪雨をはじめ、これから夏・秋とどんな気候になるのか、やや気になるところだ。
この別名の忍冬(にんどう)ではないが、人間も変わる自然環境に耐え忍びそれに対しての適切な対応が必要になるだろう。ただ、個人も社会も自然と乖離してしまった我々に、その力が残っていればの話だが。

小紫陽花(こあじさい)小紫陽花(こあじさい)梅雨の代表的な花といえば紫陽花(あじさい)が頭に浮かぶ。
写真は小紫陽花(こあじさい)である。5月の終わり頃から見られ、他の紫陽花(あじさい)より一足早く開花するようだが、林の中などの日陰に生えていることが多く、装飾花と呼ばれる“ガク”はないのが特徴。その花自体は派手さはなくおとなしいが、それでも群生したところはなかなか見事である。
6月も中旬を過ぎ、やや梅雨らしい天候が戻っているように思うが、全体の雨量はやはり少な目に感じられる。今後は、梅雨末期特有の集中豪雨が心配になるところだが、年々その激しさが増しているのは確実といわざるを得ないようだ。
廻り来る季節と変わらぬ野草に、まだ残る自然とその環境を感じることができるが、四季と共にその危うさが見え始めているのは確かである。
山の麓では、そろそろ小紫陽花(こあじさい)の時期も終わり、山紫陽花(やまあじさい)などが咲き始める頃となる。

亜米利加風露(あめりかふうろ)亜米利加風露(あめりかふうろ)少々前の写真になるが、5月から6月頃にかけ、いたる所で薄紫色の小さな花を咲かせる野草を見かける。亜米利加風露(あめりかふうろ)というらしいが、その名が示す通り、北アメリカ原産の帰化植物である。我が国での歴史は以外と浅く、昭和の初め頃、京都の草むらで見つかったのが最初と聞く。牧草などと共に持ちこまれたということだが、今ではどこにでも見かけるフウロソウ科フウロソウ属の一年草である。
6月も中旬を過ぎて、時期的には今が梅雨の真っ只中となる。降れば豪雨のここ数年、毎年のように被害が報じられているが、それでも全体としての雨不足の傾向は気がかりなところだ。
動物や野草たち同様に、我々人間も天の恵み無しでは生きられない。そのことをもう一度見つめ直してみたいと思う昨今、異なる環境に順応して生き延びる帰化植物ようにとはいかないまでも、変わりつつある環境に対して、もっと従順なシステムを作ることが必須の時代に入ったのは確かだろう。
それを知ってか知らずか、我が生息地域も、その回りも、益々アスファルトとコンクリートで固められていく。

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