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日本ミツバチ載せた写真は山の麓にあるツツジ園をやや下に降りたところで見つけたもの。日本ミツバチのようである。
ここには先日まで、木で作られた“鳥の巣箱”のようなものが括り付けられていたが、そこに彼らの巣があったのだろうか。撤去されたためか、せっせと新しい巣作りに励んでいるように見えた。
こうしたところを実際に目にしたのは初めて。早速カメラに収めることにしたが、一昨年、川原にあった養蜂の巣箱を撮影しようと近づき過ぎて、耳の後ろを刺された苦い経験があり、へっぴり腰で恐る恐る撮った一枚である。
今年も日照不足が野菜の生育に大きな打撃を与えているらしく、その価格がかなり高くなっていると聞く。ここ数年、この時期には毎年のようにこうしたニュースを耳にするようになった気がするが、それだけこの国の気候が変わってきていると言わざるを得ないようだ。
ミツバチに限らず、自然の中で植物などと共に生きるものたちが、変わりつつある気候の中でその生態をどう変えていくのか少々興味がわくところだが、自然と乖離して久しい我々人類は、その変化にどんな対処していけば良いのだろうか。社会のシステムを含めその課題はかなり多いと言える。

楮 (こうぞ)の花楮 (こうぞ)の花アップ5月も終盤になった。気温は低く天候も今一つパッとしないこの頃だが、山の麓では花の時期もそろそろ終わりを迎え、色濃くなった緑が一面を覆い始めている。
そんな中、昨年“今日の一枚”としてその実を載せたことのある、楮(こうぞ)の花を見つけた。生育する場所が悪いのか、昨年載せたものよりかなり貧弱ではあるのだが。
掲載の写真は雌花。来月の終わり頃には、透明感のある褐色に熟した木苺のような実が見られるようになる。同様にその実は食べられる。
この楮(こうぞ)という名、「紙麻(かみそ)」から「かみぞ」となり、そして今の「こうぞ」に変化したという説が有力のようだが、昔から三椏 (みつまた)などと共に紙の原料とされてきた。トロロアオイの根やノリウツギの樹皮などから抽出した「ねり」と呼ばれる粘剤と混ぜて、流漉き(ながしすき)という日本独特な技法で紙にする。それがご存知の和紙になるのだが、そのことからもそうした名の由来は頷ける。
その和紙も洋紙に圧され生産も利用も減ってきたようだが、この国の風土と気候が育てた文化である、薄くて強靭な味わいのある美しい紙として、その製法と共に廃れることなくずっと残って欲しいものである。

空木(うつぎ)2空木(うつぎ)1梅雨を前に日中は初夏の陽気になっているここ数日だが、例年に比べ朝晩はかなり気温が低い。
予報では来月も気温は低めということだが、田植えの終えた稲や夏野菜などの作物への影響が怪訝される。
写真は山の麓で見つけたものだが、たぶん空木(うつぎ)の仲間だろう。この空木(うつぎ)という名、枝の成長によってしだいに中心の髄が消失して中空になることからその名が付いたということだが、別名を卯の花(うのはな)というらしい。
あの唱歌“夏はきぬ”で歌われる卯の花(うのはな)とはこのことをいうようだが、その歌詞を改めて思い浮かべてみたとき、季節と共に生きていた当時の日本の暮しと、現代社会が置き忘れてきたものが見えてくる。
その歌詞が私の心染み入るのは、たぶん懐かしさのせいだけではないだろう。
◇空木(うつぎ):ユキノシタ科ウツギ属
◇原産地:日本

金瘡小草(きらんそう)1金瘡小草(きらんそう)2その名の由来は、紫の古語“き”と藍色をいう“らん”から来たと言われている。また、“金襴(きらん)”の織物の切れ端のように見えるということから、“金襴草(きらんそう)”とも書くらしい。別名を“地獄の釜の蓋”と言う。墓地のような所にもへばりつくように生えるその様を誇張したものということだが、薬効成分があり地獄の入り口に蓋をして生還できるためという説もある。
その効能は煎じたものを飲めば、鎮咳、去淡、解熱、健胃、下痢止めなどに効き、化膿した外傷などには茎葉をもみつぶして患部に塗れば中の膿(うみ)を出してくれるということである。
昔から薬草として結構有名らしいが、この花が見られるようになると梅雨の季節はすぐそこまで来ている。

新緑の公園その2前回と撮影日は同じになる。
この公園、昨年辺りから人が多く訪れるようになってきた。そのこと自体は悪いこととは思わないが、自分たちの生活スタイルと、その利便性をそのまま持ち込もうとする人たちには眉をひそめるばかりである。
多くの人々に、まだ残るこの地域の自然を体験して欲しいと思うのは事実だが、自然には自然の中のルールがあることを是非忘れないで居て欲しい。
今までの自分の反省を含めて、強く思う昨今である。

撮影日:5月20日

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