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週末辺りから、やや気温が低いものの梅雨らしい天候が続いている。この時期、特に雨の日などは、麓からやや上の茂みに“ヤマビル”がいることが多い。先月の終わりころの楮(こうぞ)の花の撮影時にも2匹ほど靴の中に入られそうになった。
写真はその“ヤマビル”を警戒するため茂みに目を懲らした時見つけたもの。まるで徳利を逆さにしたような形に、なんとも芸術的な模様が付いている。
しばし見とれたが、先端の方にはかなり大きな蜂がいるの見えた。どうやらスズメバチの巣のようだ。まだ初期段階らしく、女王蜂が一匹で巣作りをしているようである。
女王蜂自体は攻撃性が低く、今の時期はむやみに刺激しない限り危険は少ないというが、やはり恐怖を感じるのは正直なところである。その女王蜂と思われる大きな蜂は、近くの私には目もくれず、巣作りの材料集めのためなのかどこかに飛び去っていった。その機にカメラに収めたのがこの2枚である。
このスズメバチ、夏から秋にかけて巣も大きくなり蜂の数も増える。その頃はかなり気が荒くなり、近くを通りかかっただけで攻撃されることもあるらしく、充分な注意が必要ということだ。
昔は、農家の軒先などには大きなスズメバチの巣があり、蜂たちが出入りしているのを見かけたことがある。活動期には彼らに刺激を与えないように静かに行動をしていたと聞いた。
今日、住宅などで巣が発見されればたぶん即刻駆除となる。その是非は別とし、それだけ現代社会の暮しが自然と乖離したということなのだろう。
苗代苺(なわしろいちご)
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本日、関東甲信地方と東北南部の梅雨入りが発表された。甲信地方は、昨年比、平年比共に一日早いということである。少々気温の低いのが気になるところだが、夏から秋と、これから生育する作物には大事な季節となる。
この時期、川縁の石垣などに小さなピンク色の花をつけた蔓性(つるせい)の植物を見かけるようになる。苗代苺(なわしろいちご)と呼ばれるものだが、目立たないその花は近寄ればかなり可愛らしい。バラ科キイチゴ属の多年草である。
苗代(なわしろ)が作られる頃に実が熟し、食べられるようになるところからその名が付いたということだが、この花が実となり熟すまでにはまだ間があるようだ。来月の始め頃には真っ赤に熟した実が見られようになるが、その頃は誰もが梅雨明け待ちの顔で空を見上げるようになる。
そんな変わらぬ季節の繰り返しを願いつつ、この花が実となるのを心待ちにしてみたりする。
紅葉苺(もみじいちご)
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6月も1週間が過ぎ、そろそろ梅雨の気配が漂う気候になってきた。この時期、山の麓では数々の植物たちが結実の頃を迎える。
写真は、紅葉苺(もみじいちご)。葉がモミジに似ることからその名が付いたとされるが、別名の黄苺(きいちご)の名の通りオレンジ色の実を付けはじめている。その味は、野性味あふれる中に木苺特有の酸味と甘味が口の中に広がり、そのままでも以外に違和感なく食べられるようだ。
春とは違い、力強い葉の色と人を誘うかのような木の実の存在に、植物たちの持つ強かさのようなものが感じ取れる。
そんな山の麓の様相に、まだ残る自然の逞しさを感じて安堵したのは確かである。
なお、一枚目の“花”は4月撮影のもの。
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梅雨を前に降りそうで降らない蒸し暑い日が続いている。さすがに30℃を越えることはないが、それでもこの急激な気温の上昇は結構応える。
いつも通る道路沿いにある家に、毎年ツバメの子育てが見られる巣がある。せわしなく餌を運ぶ親鳥や、その餌をねだる雛の様子が運転中の車の窓からでも見ることができる。
人の家の玄関先ということもあり、昨年までは気安く近距離での撮影ができなかったが、今年、友人の好意で使わせてもらっている、12倍ズーム機能付きカメラの力を借りて、今年はちょっと大きめの撮影ができた。
この雛が巣立つ頃、本格的に蒸し暑い季節へと向かうわけが、昨年の秋からその異常さが際立ってきた気象状況に、環境を壊し続け、その要因を作ってきた我々人間たちがいったいどんな対処するのか、ツバメたちは上から冷ややかに見ているのかもしれない。
甘野老(あまどころ)
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6月に入り山の麓の木々たちも、その緑を益々濃くしながら春の終わりを告げているかに見える。これから梅雨、夏と、木々も野草もその勢力を一層伸ばす季節になる。
写真は、日頃足を踏み入れる山麓公園の林の中で見つけたもの。甘野老(あまどころ)のようだが、園芸用とは違い葉には斑は入っていないようである。
山芋の一種の、野老(ところ)と呼ばれる“鬼野老(おにどころ)”と似て、根茎に甘味があることからその名が付いたということだが、ヤマノイモ科ではなくユリ科アマドコロ属の多年草。
薬効成分もあるようで、その効能は、滋養、強壮、強精、老化防止、美肌、色白、脳卒中、糖尿病、胃潰瘍などかなり幅広い。
こうした野草の恩恵も、山々がもたらす恩恵も、豊かな自然と四季があったからこそだが、その環境が変わりつつある今、人の存在を守る意味でも、自然と共に生きて行けるそんなシステムを作り上げる必要を感じる。次世代に何を残せるのか、今を生きる私たちの課題は多い。
日陰で見つけたその小さな野草は何も語ることはなく、ただ、廻ってくる次の季節をじっと待っている。