
いよいよ今日から10月、衣替え(ころもがえ)となる。衣更え(ころもがえ)とも書くこの習慣、平安時代に宮中の夏服と冬服を切り替える“更衣(こうい)”と呼ばれる行事が始まりと聞く。中国に倣って、初めは4月1日と10月1日に行なわれていたらしいが、明治頃から、官庁を始まりに6月1日と10月1日になったようである。ちなみに沖縄では気候の違いからか、5月1日と11月1日が切り替え日となる。
掲載の写真は蔓穂(つるぼ)、参内傘(さんだいがさ)ともいう。花の形が公家や大名などが参内(さんだい)の時に従者にさしかけさせた長柄の傘に似ていることから付いた名と聞く。9月から10月頃に、日当たりの良い土手などに群生しているのが見られる、ユリ科ツルボ属の多年草である。
この野草、鱗茎(りんけい)部分(球根のこと)は澱粉(でんぷん)を多く含み、食料として古くから食べられていたらしい。その後、米などの穀類が栽培されるようになり食料とされていたこと自体忘れ去られていたそうだが、豊臣秀吉の命で、朝鮮半島に出兵していた加藤清正が持ち帰った、中国の明時代に記された文献“救荒本草(きゅうこうほんぞう)”の中に、飢饉の時に利用する野草としてこの蔓穂(つるぼ)があり、食料のみならず薬草としても見直されたようである。
今の時代、こうした野草を飢饉の時の食料と考える人はまずいないだろう。だが、我が国の、穀物など農産物の自給率が極端に低い現状を思えば「それは昔のこと」とも言えなくなってくる。
何を守り、何を残せるのか。それを育む自然環境を含めて、いかに己たちの問題として解決の方向を探っていけるのか、自然と共に生きていた昔の人々の知恵と強かさは、その大きな道しるべとなるのかもしれない。

8月の終わりにも載せたが、稲にも花の咲く時期はある。大抵、9月初旬の頃には受粉の時を終え結実と向かう。しかし、9月も終わろうとしているこの時期に花開く稲があるようだ。その穂は黒く、他の稲との対比からかなり目を引いた。実はこの田んぼ、ここバーチャルタウンいいだの[スローライフ]→[スローフードにこだわる]→[野菜作りと古代米]に載せた農園のものである。
頼んでおいた米を受け取りに行った時に見つけたのだが、残念ながら主は居らず稲の種類は聞けなかった。その穂の色から、勝手に古代米の黒米の花と思い込み撮影をして帰った。
帰宅後に妻がメールにてその旨を伝えたわけだが、返ってきた返信のメールから、その黒い穂の正体は緑米、隣に見えたやや緑がかった方が黒米と判明する。結局、生半可な予備知識は何の役にもたたないことを実感する結果となった訳だが、早いところではすでに刈り取りを終え、稲ハザが建ち並び始める9月の終わりに、ようやく花を咲かせる緑米。籾蒔きの時期もあるのだろうが、やはり興味が湧くのは正直な気持ちである。ちなみにこの緑米はもち米。わが家ではこの米で毎年餅をついていることを付け加えておく。
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以下に、返信メールに付けられた、説明を含む農園主の言葉の一部を、抜粋して載せることにする。
「古代米の中には、籾の色と玄米の色が一致しないのも有るんです。現代米のコシヒカリは、開花が7月下旬頃だから、9月下旬の緑米は、特異な存在です。10月いっぱいかけて秋風に育まれて、緑米独特の甘みと香に熟成してゆくのが楽しみ。
里山の紅葉と同調して実るお米が、実は自然体な稲かもしれないと、緑米を見て思うこのごろ。」
稲を愛しむかのようなその件(くだり)に、作物に対する思いを感じる。そんな主の思いと共に、その緑米の穂が頭を垂れるのを心待ちにする。

一日ごとに秋の深まりを感じるようになってきたこの頃。道すがら見かける田には、立ち並ぶ“稲ハザ”が見られるようになり、本格的な秋の到来と、その後ろに迫り来る冬の気配が見え隠れする。今年は秋から冬とどんな季節が廻り、そして過ぎていくのだろう。
掲載する写真は飯田市松尾の“城址公園”向こうの棚田である。重そうに頭を垂れる稲穂から、実りの秋の喜びが感じられる。こうした風景、やはり良いものだ。
このところの、10月の中旬から下旬並みという気温の低下が、極端に短かった昨年の秋を思い起こさせるが、春に芽吹き秋に実る、その当然のように繰り返されてきたものが今後も変わらぬことを祈りながら、秋風の吹く中、黄金に輝く棚田を眺めていた。
彼岸花(ひがんばな)

9月も余すところ一週間を切った。雨の日の今日、さすがに気温は低く長袖が必要となる。
掲載の写真は、秋の彼岸の頃その色と風体で目を引く彼岸花(ひがんばな)である。別名を曼珠沙華(まんじゅしゃげ)というが、墓地などでもよく見られることもあって、死人花(しびとばな)とも呼ばれる。そのためか、昔は「触っては駄目。採って来ては駄目。」と言われたそうである。
その鱗茎(りんけい)部分(球根のこと)にはリコリンというアルカロイド系の有毒成分があり、それを利用してモグラ避けとして田んぼの畔などに植えられたと聞くが、このリコリンという成分、水溶性らしく、摩り下ろし水に浸して澱粉(でんぷん)とすれば毒性はなくなるようである。そのため、飢饉の時の食料としたらしいが、田の畔などに植えられていたのは、たぶん、その二つの一挙両得の意味があったものと思われる。
また、石蒜(せきさん)とも呼ばれ民間薬として利用されるらしく、その効能は、あかぎれ・いんきん・打ち身・疥癬・脚気・関節リウマチ・肝臓病・胸膜炎・痔・歯痛・しらくも・腎炎・吸出し(化膿)・タムシ・乳腺炎・捻挫・肺炎・腹膜炎・浮腫・肋膜炎など、お覚えきれないくらいに多い。当然その用法などは異なるが、こうした野草の全てを利用していた昔の人々の知恵と知識は驚嘆に値する。
田や畑は益々消えて行く傾向の昨今、こうした知恵と経験も一緒に消えて行くのだろうか。そんな思いをよそに群生する彼岸花(ひがんばな)は短い花の時期を謳歌しているように見えた。

いよいよ9月も下旬、日中の日差しに夏との違いを感じるこの頃、身体に感じる風も秋の香りを強く漂わせるようになってきた。
掲載の写真は、山の麓“妙琴(みょうきん)ツツジ園”内にある枝垂桜。2枚目は麓ゆえ全貌は望めないが、そこから見える風越山(ふうえつざん)である。紅葉にはまだ早いが、夏の騒がしさも去り、この時期の山の麓は穏やかな安堵感を与えてくれる。
先日、九州地方に大きな被害を残していった13号、強烈な強さで日本近海に迫る14号と、今年、台風の破壊力と大きさから温暖化は確実に進みつつあることを強く感じている。その本格的なシーズンを前にやはり不安になるのは正直なところだが、そんな思いをよそに麓の公園から見上げる山々は、秋空をバックに変わらぬ姿でそこに存在している。
さて今年、この山々とその麓の自然はどんな秋を見せてくれるのか、その期待に不安が入り混じるのは致し方のないことなのだろうか。


