蔓穂(つるぼ) 撮影日:2006年9月25日 撮影:管理人蔓穂(つるぼ) 撮影日:2006年9月25日 撮影:管理人いよいよ今日から10月、衣替え(ころもがえ)となる。衣更え(ころもがえ)とも書くこの習慣、平安時代に宮中の夏服と冬服を切り替える“更衣(こうい)”と呼ばれる行事が始まりと聞く。中国に倣って、初めは4月1日と10月1日に行なわれていたらしいが、明治頃から、官庁を始まりに6月1日と10月1日になったようである。ちなみに沖縄では気候の違いからか、5月1日と11月1日が切り替え日となる。
掲載の写真は蔓穂(つるぼ)、参内傘(さんだいがさ)ともいう。花の形が公家や大名などが参内(さんだい)の時に従者にさしかけさせた長柄の傘に似ていることから付いた名と聞く。9月から10月頃に、日当たりの良い土手などに群生しているのが見られる、ユリ科ツルボ属の多年草である。
この野草、鱗茎(りんけい)部分(球根のこと)は澱粉(でんぷん)を多く含み、食料として古くから食べられていたらしい。その後、米などの穀類が栽培されるようになり食料とされていたこと自体忘れ去られていたそうだが、豊臣秀吉の命で、朝鮮半島に出兵していた加藤清正が持ち帰った、中国の明時代に記された文献“救荒本草(きゅうこうほんぞう)”の中に、飢饉の時に利用する野草としてこの蔓穂(つるぼ)があり、食料のみならず薬草としても見直されたようである。
今の時代、こうした野草を飢饉の時の食料と考える人はまずいないだろう。だが、我が国の、穀物など農産物の自給率が極端に低い現状を思えば「それは昔のこと」とも言えなくなってくる。
何を守り、何を残せるのか。それを育む自然環境を含めて、いかに己たちの問題として解決の方向を探っていけるのか、自然と共に生きていた昔の人々の知恵と強かさは、その大きな道しるべとなるのかもしれない。