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凍った川 撮影日:2006年12月20日 撮影:管理人凍った川 撮影日:2006年12月20日 撮影:管理人さすがに12月も中旬を過ぎると、朝には氷点下に落ちる日が出てくる。今年は暖冬ということだが、秋が短く、その気温低下の早さのためか、例年に比べ、やや寒さが厳しいように感じてしまう。改めて人の体感温度の不確実さを痛感するが、それでも氷点下ともなれば辺りには寒々とした風景が広がり始める。
写真は山麓公園の横“松川(まつかわ)”に見つけた氷である。渇水期ということもあり川の流れは少ないが、薄っすらと張った氷がすでに冬の季節に入っていることを実感させる。冬の背高泡立草 撮影日:2006年12月20日 撮影:管理人だが、先日の仏の座(ほとけのざ)や、姫女苑(ひめじょおん)ではないが、その近くに咲く“背高泡立草(せいたかあわだちそう)”は温暖化による気候の異変を教えているかのようである。
今日は冬至(とうじ)。昼が最も短く、夜が最も長い日とされる。冬至(とうじ)とは二十四節気の一つで、12月22日頃、または、この頃から小寒までの期間をいうらしいが、北半球では太陽の南中の高さが最も低くなり、そのため昼が短く夜が長くなるということのようである。
昔からこの日に“柚子湯”に入り、カボチャを食べると風邪をひかないといわれている。“柚子湯”とはご存知の通り柑橘類の“柚子”を浮かべた風呂のことだが、柚子の持つ芳香成分“精油”のはたらきにより、身体が温まり血行促進の効果があると聞く。知人から送られてきた柚子 撮影日:2006年12月21日 撮影:管理人カボチャは冬の貴重な緑黄色野菜。カロチンを多く含み、この時期不足勝ちになるビタミン補給には持って来いということなのだろう。昔から慣わしとして行なわれて来たことだが、その理に適った内容にはさすがに感心させられる。
先日、知人から柚子を始め、レモン・キウイなどが届いた。それもあり、一日早かったが昨夜は柚子湯となったわが家。香りも然ることながら身体の芯から温まり、腰痛持ちの私にはこの上もない御馳走となった。
送ってくれた知人に感謝しながら、昔からの慣わしが持つ意味の深さと、先人たちの知恵に、改めて驚嘆させられたのは確かである。

雪の南アルプス 撮影日:2006年12月10日 撮影:管理人雪の南アルプス 撮影日:2006年12月3日 撮影:管理人木曽山脈(中央アルプス)と赤石山脈(南アルプス)、両山脈に囲まれ南北に長い伊那盆地。その南端位置する飯田地方のほぼ東の方向に赤石山脈はある。合併により同市となった上村、遠山郷からの眺望には遠く及ばないが、我が生息地域の近辺からも赤石岳を始め、南アルプスの一部を見ることができる。間にある近隣の山々が視界を遮り、全貌といかないところは少々残念だが、その山々の上から顔を覗かせる雄々しくも険しい姿が確認できる。冬の、よく晴れた日などは、雪のため白く彩られた頂が青空に浮かび上がり、えもいわれぬ景観を見せてくれる。
写真は、風越山麓近くから続く農免道路と、飯田市松尾にある“城址公園”から撮影した雪の南アルプス。友人から借りている一眼デジカメの力により、初めて可能となったズームアップ。こうした風景は久々の撮影となるが、日頃何気なく見ているその景色に、改めて山々に囲まれたこの地域を実感できる時でもある。
雪の南アルプス 撮影日:2006年12月10日 撮影:管理人最近ニュースなどで知った“夕張市”の財政破綻。その可能性は囁かれながらも、実際に起こった自治の破綻にはかなり驚かされた。
経済の落ち込みにより減ってゆく税収。その穴埋めのように進む市町村の合併。税確保の為に近隣を抱え込む側と助け舟欲しさにそのまま吸収される側、その思惑は様々だが、いまだに“無駄”と思える公共事業が後を絶たないように見えるのも事実である。
なんとも釈然としないというのが正直な気持ちだが、図体が大きくなればそれだけ多くの無駄ができ、小回りが効かなくなることは確かなことと思える。明日は我が身、我が地域という訳ではないが、各地方自治のリーダー、並びに、運営側の真価が問われるのは確実だろう。しかし、それを選ぶのは我々個人個人であることも忘れないようにしたい。
そんな人の世の浮き沈みをよそに、山は盆地を見下ろすかのごとくあくまで雄々しく聳え立つ。麓に居るものに、厳しい試練と大きな恵みを与えながら。

山茶花(さざんか) 撮影日:2006年12月17日 撮影:管理人山茶花(さざんか) 撮影日:2006年12月17日 撮影:管理人前回投稿の、狂い咲きの姫女苑(ひめじょおん)は別とするが、この時期に花を付けるものとして“山茶花(さざんか)”がある。花の少ない時期に咲くためか、昔から庭や生け垣に植えられることが多い。かつては椿(つばき)と同様、種子から油を採る目的で栽培されていたらしく、庭などに植えられたのはその意味もあったのだろうか。
原産地は日本。本来の野生種は西日本から沖縄の西表島などにかけて、分布しているようである。
山茶花(さざんか) 撮影日:2006年12月17日 撮影:管理人写真は飯田市街地にある公園内のもの。昨年は急激な気温低下のためか、開くことなく落ちてしまった蕾を多く見かけたが、それでも残った花は寒風の中で必至で咲き、人影のない寒々とした公園を飾っていた。
今年、すでに木の根元には散った花びらが散乱し、寒さのためか枯れたように萎(しお)れたものも見うけられたが、なんとかその花は健在のようである。ただ、街中の公園という環境のせいなのか、昨今の気候変動のせいなのか、年々その勢力が衰えていくように思えるのはやはり気がかりではある。
この辺りの公園はまだまだ季節を感じることができる。再開発と称して益々都市化が進む中、せめて季節を告げる植物が存在できる、そんな発展のさせ方をしていって欲しいものと願う昨今である。

~以下は例によってネットで仕入れた情報~
和名   :山茶花(さざんか)
別名・異名:カタシ/ヒメカタシ
学名   :Camellia sasanqua Thunb.
英名   :sasanqua
植物分類 :ツバキ科ツバキ属
原産地  :日本(山口県/四国西南部/九州/沖縄)
花言葉  :理想の恋い(白)/謙遜(赤)

初冬の姫女苑(ひめじょおん) 撮影日:2006年12月2日初冬の姫女苑(ひめじょおん) 撮影日:2006年12月2日12月も早中旬、今年も残り半月あまりで終わることとなる。昨年同様に今季も秋の短さが気になったが、急激な気温低下の賜物か、僅かの期間だが木々たちの演出する彩りの世界は楽しむことができた。その木々たちも今は葉を落とし迫りくる冬に備えている。
写真は山麓公園内に見つけた姫女苑(ひめじょおん)。本来は今の時期は見られないものである。春、4月の終わり頃から春紫苑(はるじおん)が咲く。6月の下旬頃、その終わりと重なるようにこの姫女苑(ひめじょおん)が咲き始めるのだが、その花の期間は以外と長く、例年10月中旬頃までは咲いているのが見られる。
その時期を見誤ったのだろうか、12月の寒空の下、まるで盛りの頃のように至るところで咲いていた。初冬の姫女苑(ひめじょおん) 撮影日:2006年12月2日多分、実を付ける前に寒さで枯れてしまうとは思うが、かなり強い違和感を覚えたのは確かである。益々二極化が進む季節の中で、こうした植物たちに見られるように、その異変はかなり大きなものになっているように感じてならない。
昨今、いざなぎ景気以来の好景気と報道などで耳にすることがある。リストラの名目で弱者を切り捨て、その結果太り始めた一部大手企業や、公共投資と金利引き締めで肥満気味の金融機関は別として、我々庶民には迫りくる冬のように寒々とした現状が見える。経済格差は広がり、まるで壊れつつある自然界に、今起こっている季節の二極化のようである。
自然にしても、経済を含む社会の問題にしても、現実に見えている現象の奥底で進んでいる“事の本質”をきちんと見定める必要がある。さもなくば、どんな対策も全く意味を成さなくなる。

冬枯れの山麓 撮影日:2006年12月6日 撮影:管理人冬枯れの山麓 撮影日:2006年12月6日 撮影:管理人12月に入って最初の投稿となる。
今日、12月7日は二十四節季の一つ“大雪(たいせつ)”。本格的な降雪が始まる頃とされているが、長野県でも南部にあたるここ飯田地方に、まとまった雪が見られるのは年を明けた1月の中旬頃からとなる。
昨年は、12月早々にかなりの雪が降り、驚いた記憶がある。今年は、先日風越山(ふうえつざん)に初冠雪が確認されたというのは聞いたが、今のところ、麓も含めて積もるような雪は降ってはいない。しかし、どんよりと曇り、寒々とした今日の空模様は、“大雪(たいせつ)”の名の通り、本格的な雪の季節に入ったことを強く感じさせる。冬枯れの山麓 撮影日:2006年12月6日 撮影:管理人
掲載の写真は山麓公園の脇から山の頂上に向かってやや上った川沿いの場所。葉の落ちた木々と、枯れた草の間を流れる小さな川が、冬特有の色を醸し出していた。春とは違い、自然の奥底にある秘めたエネルギーを感じることが出来るこの時期に、山の中に身を置くのは、その静寂さも手伝って結構心地良いものだ。
覆っていた草や葉が消え、夏場見えなかったものが見えるようになり、まるで来春に向けて自然界の初期化の時とも思えるが、長い時の流れの中で受け継がれて来たものは、きっちりと土台として残っている。
昨今聞こえる政界の茶番劇。一見、真と偽が見え難くいように思うが、内容は単純なものである。報道する側とされる側、それを受けとめる側も含め、一旦“余分な葉”を落とし、全ての初期化を考えた方が良いのだろう。そうすれば本来の土台は見えてくるはずである。基にどんな土台があるのか、その方が重要な事柄となる。

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