
5月もすでに中旬となる。今日、飯田地方は朝から快晴。予想される最高気温は27℃と、やや肌寒ささえ感じた昨日までと10℃前後の差があることになる。今年に入り幾度となく繰り返される寒暖の差にはさすがにうんざり気味、ふと今の季節がわからなく時さえあるが、そんな気候の中でも、目にする木々たちは葉の色を一層濃くしながら、勢力を伸ばすべく次に廻る季節を待っているように見える。
写真は花の木(はなのき)。山麓の公園内にあるもの。この木、春に奇妙な形の赤い小さな花をつける。その花が終わるとやがて葉が出始めるのだが、葉の色も花のように赤い。そして、成長と共に徐々に緑色へと変化する。秋には鮮やかに紅葉してやがて落葉する。その名、なんとなくだが頷ける気がする。
和名は花の木(はなのき)。カエデ科カエデ属の落葉高木。モミジの仲間である。別名は花楓(はなかえで)というらしい。なお、葉の撮影は、5月9日。花は、まだ桜の開く前の3月の24日のこととなる。
「もみじどき、秋は遠目にみるがよし、春は近くでみるがよし」。この木をネットで調査中に見つけた言葉である。
昔から言われてきた俚言(りげん)のようなものらしいが、ハッキリとした四季があったらこそ生まれたものなのだろう。
欧州を始め、国内でも蜜蜂の生態に異変が見え始めていると聞く。変わる気候と地球環境の中、生物の生態も大きく変化しつつある。「滅びるもの、残るもの」。気の遠くなるような長い時間の中で絶えず繰り返されてきたことである。遥か昔から自然と共に生きてきたはずの人類だが、進み行く温暖化を未だ止められないままに、落ち行く経済が拍車をかけたのか、エコという仮面の下で進む環境の悪化は、さらに加速されつつあるのが現状のようだ。なんともお粗末な話しだが、その全てに、現社会の中で生きる我々個々人の生活形態と生き方の思想が、大きく関わっているのは確かなことだろう。
「滅びるもの、残るもの」。当然だが、その篩(ふるい)にかけられる種には人類も含まれる。
林檎(りんご)の花 ’09

4月も、もう残りわずかとなった。ここ飯田地方、桃・梨の花が終わり、今は林檎の花が真っ盛り。例年より少々早いだろうか、街道沿いにある林檎畑では、満開の白い花が、時折行き交う車を見送っていた。撮影のため近づけば、消毒の香りがつんと鼻を突くが、品種改良の置き土産、今の品種では致し方ないのか。
林檎栽培の南限と言われるこの地域、温暖化で気候が変わる中、今年の収穫が気になるところだが、苦労のわりに実入りが少ないのか、作業者の高齢化が要因か、果樹園は徐々にその数を減らしている。それに拍車をかけるかのように、その付近の道は幅を広げアスファルト面積を増やしつつある。道路を含め、都市型の地域形体が気候変動の一因となっていることは分かっているはずだが、そうした動きは変わらないようである。未だ残る日本の土地神話の弊害のようにも思える。
農を育むことは自然を育むことにも通ずる。農を守ることは環境を守ることにも通ずる。そして環境の維持は人の存在の維持と繋がる。高齢化が進む現社会の中、我々は今の現状を見守ることしかできないのだろうか。
春の小さなライブ2009
4月の終わり、不況のためか早めに休みに入る企業も多いらしく、今日25日を含め、16連休となるところもあると聞く。そんな大型連休を前に、初夏を思わせたような異常な気候もやや落ち着きを見せているが、週末は発達した低気圧の影響でかなり荒れ模様となるとのこと。その予報通り今日は朝から激しい雨である。気温もやや低めなのだろう、日中にも関わらず暖房器が欲しくなった。
桜が咲くこの時期、毎年この地でライブ行なう人物がいる。京都出身のシンガーソングライター「豊田勇造」氏。実は、彼の記事を載せるのはこれで3回目となる。場所は、今年の3月「郷愁の夕べ」としても載せたが、飯田市街地にあるライブハウス「ふぉの」。23日のことである。 - 続きを読む -
山麓の春(エコという名の免罪符2)


早いものである。気が付けば4月も後半、ゴールデンウィークと称する連休まで後わずかとなった。仕事柄、暦の休日とはほとんど縁のない暮らしだが、この時期の気候が相俟って心做しか気分も上り気味となってくる。
ここ数日、日中の気温もやや落ちついた状態になってきてはいるが、それでも晴れた日などは20℃近くになる。山麓に出向けば、遠く山腹辺り見える山桜が、佳境にある春を強く感じさせてくれる。麓の公園内では、遅咲きの八重桜がほぼ満開の状態。芽吹き始めた木々の緑との絶妙な色合いを見せる中、季節はいよいよ本格的な新緑のシーズンへと向かう。
その公園の駐車場に小振りの八重桜の木がある。その根元にゴミが捨てられているのが見えた。証明器具にコウモリ傘、衣類のようなものまである。地元民の捨てたものだろうか。
この場所、外から見えにくいこともあるのか、以前からコンビニ弁当の空箱や飲料水の空き缶などが捨てられているを見かけることがある。その頻度には、怒りを通り越し妙に寂しい気持ちにさせられるのだが、今、当然のことのように“エコ”が叫ばれる中、ゴミ排出の要因そのものは増えつつあるように思えるのが現状である。製造する側、販売する側、購入して使用する側、やはりその全てに変革は必要だろう。
マネーの動きが引き金となり世界を巻き込む不況の嵐。例のETC使用に限っての高速道路のオール1000円騒ぎや、政府推奨の「エコ替え」ではないが、まるで落ちこむ経済を立て直す救世主のように、環境対策「エコ」をブームのごとく加速させようとしている。国全体として環境対策に目を向けるのは結構なことである。しかし、車が多量に動けば温暖化効果ガスは増加、買い替えが多くなれば廃棄物のゴミも増えることになる。
ばら撒き経済対策に、取って付けたような環境対策。その結果なのか、「エコ」を掲げればなんでも許されるかのような昨今の風潮には、正直眉をひそめたくなる。
目先を取るか、未来を取るか。分岐点が見え隠れする中、経済も環境に対しても、その簡単な選択すら出来ないのが、今の我々の社会のようである。
車・電気製品のエコ替え、リサイクルされることから益々増えるペットボトル商品などなど。「電気はクリーンエネルギー」ではないが、我々個々人の、表面上のまやかしに惑わされない目とそれを表現する強い意志が、益々必要となってきたのは確かなことだろう。

4月の前半、連日の好天が続いた。日中の最高気温は20℃を越えることも多く、まるで初夏のような陽気。そんな異様な気候も一段落なのか、週の後半辺りから気温上昇も落ちつくとのことだが、その暖かさのため桜前線はこの地域を足早に通りすぎ、すでに街中は葉桜になっている。やや遅咲きの山の麓でも、ツツジ園の枝垂桜を筆頭に、例年にないほどの早さで花々がその華やかな姿を現し始めているようだ。
ここ数年、多分温暖化のせいかと思われるが、5月の連休辺りから夏のような気候に見舞われることが多くなってきていた。今年はそれがさらに早まった感があり、その変化の大きさに、今後の不安が拭いきれないのは事実だが、幸い、この国、この地域には、まだ四季らしき変化は残っているようである。
掲載の画像は、山の麓、妙琴ツツジ園の桜と、その道沿いに咲く三つ葉ツツジ。撮影したのは12日のことである。すでに3日経過してることと、昨日の雨ためその様相はかなり変わっていると思うが、春はこれからが本番、この時期ならではの華やかな自然の演出は理屈抜きで楽しみたいものである。
加速する地球の温暖化現象に伴い、温暖化効果ガス削減が一つのビジネスチャンスといわれ始めている昨今だが、経済発展と環境の維持、その双方を共に求めるのは少々虫が良い話しのように思える。そろそろ、今の経済主導型の社会の仕組みを見直す必要を感じるが、今まで、そのチャンスと見なされなかったためここまで遅れてしまった温暖化対策に、その環境維持を含めて、果たしてそれが我々人類とって実現可能な事なのか、未だ未知のままなのが実状といえる。
いくら使用を控えようとも、現時点では車も電気も不可欠。そんな、今の己の生活形態との矛盾をも感じながら、春の日差しの中で佇む私の頬を、山麓の風が優しく撫ぜていった。