山麓の春(エコという名の免罪符2)


早いものである。気が付けば4月も後半、ゴールデンウィークと称する連休まで後わずかとなった。仕事柄、暦の休日とはほとんど縁のない暮らしだが、この時期の気候が相俟って心做しか気分も上り気味となってくる。
ここ数日、日中の気温もやや落ちついた状態になってきてはいるが、それでも晴れた日などは20℃近くになる。山麓に出向けば、遠く山腹辺り見える山桜が、佳境にある春を強く感じさせてくれる。麓の公園内では、遅咲きの八重桜がほぼ満開の状態。芽吹き始めた木々の緑との絶妙な色合いを見せる中、季節はいよいよ本格的な新緑のシーズンへと向かう。
その公園の駐車場に小振りの八重桜の木がある。その根元にゴミが捨てられているのが見えた。証明器具にコウモリ傘、衣類のようなものまである。地元民の捨てたものだろうか。
この場所、外から見えにくいこともあるのか、以前からコンビニ弁当の空箱や飲料水の空き缶などが捨てられているを見かけることがある。その頻度には、怒りを通り越し妙に寂しい気持ちにさせられるのだが、今、当然のことのように“エコ”が叫ばれる中、ゴミ排出の要因そのものは増えつつあるように思えるのが現状である。製造する側、販売する側、購入して使用する側、やはりその全てに変革は必要だろう。
マネーの動きが引き金となり世界を巻き込む不況の嵐。例のETC使用に限っての高速道路のオール1000円騒ぎや、政府推奨の「エコ替え」ではないが、まるで落ちこむ経済を立て直す救世主のように、環境対策「エコ」をブームのごとく加速させようとしている。国全体として環境対策に目を向けるのは結構なことである。しかし、車が多量に動けば温暖化効果ガスは増加、買い替えが多くなれば廃棄物のゴミも増えることになる。
ばら撒き経済対策に、取って付けたような環境対策。その結果なのか、「エコ」を掲げればなんでも許されるかのような昨今の風潮には、正直眉をひそめたくなる。
目先を取るか、未来を取るか。分岐点が見え隠れする中、経済も環境に対しても、その簡単な選択すら出来ないのが、今の我々の社会のようである。
車・電気製品のエコ替え、リサイクルされることから益々増えるペットボトル商品などなど。「電気はクリーンエネルギー」ではないが、我々個々人の、表面上のまやかしに惑わされない目とそれを表現する強い意志が、益々必要となってきたのは確かなことだろう。
新緑にピンクとはとても美しい組み合わせですね。
最近は並木や花の絨毯ばかり見ていたので、こういう光景に目が行きがちです。
ぺんた>
桜一辺倒の時期とは違い、芽吹き始めた緑との調和がなんとも良いですね。やはり木々には緑の色が似合うようです。
そういった意味でも、花と同時に葉も芽吹く山桜が私は好きなのですが、そんな山桜、季節のワンショットに載せていくつもりなので、見てみてくださいね。
駐車場のそいうところのごみ、残念なことによく見かけるんですよね。
最近駐車場で気が付くのは私も乗っていますがミニバン(ステーションワゴン)が本当に多くなりましたよね。
この車は車高が高く長いので駐車すると死角が多くなり陰でゴミを捨てていても見えないことが有るんです。悪知恵ですよね
まったく、他人の迷惑を考えない行動をする輩が後を絶ちませんね
玉井人様>
本当に寂しい気分にさせられます。
へぇ、ミニバンを目隠しにしてゴミを捨てると言うわけですか。なんとまぁ、悪いことには頭の働く人達がいるんですねぇ。
彼らは、身の回りのゴミからは解消されて清々していると思いますが、地面を経て、川を経て、海を経て、最終的には自分たちに返ってくると言うことを忘れて欲しくないですね。
ゴミ捨ては、想像力の希薄な、ま、要するに頭の悪い人の所行ですね。
自分か自分の子どもとか知り合いが、この次そこを訪れて何を感じるか思い浮かばない。
ちいさなことならそういったところから、大は環境汚染の行き着く果てとか、思いが及ばない。
星を見ても、その星の近くまで思いを飛ばして、どんな世界なのか想像できず、単に空に穴が開いている程度にしか見られない、「犬が星を見る」レベルの頭脳。
最近は、そうやってやり場のない憤慨を乱暴に紛らせております。
ミニバンといえば以前、今宮神社の参道の入口…つまり大鳥居の前に横付けして、紙おむつをスライドドアからそっと置いていった若い主婦二人組を目撃しました。
「そっと」というあたりが罪悪感か。
彼女ら不敬の犯罪者二人の行く末、神様が寛大でありますように。
中山様>
確かに、こうした行いをする方々に想像力があるとは思えませんが、知らない人には教えれば良いという結論が思いつきます。
しかし、おっしゃる「そっと置く」方々や、目つかない場所に捨てる方々は、“良くない”というところまでは認識していることになります。それが更に寂しさを生みます。