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本格的な雪が降らないまま、もう2月も終わろうとしている。この影響で夏に向けて水不足が心配されるが、長野県でも太平洋側に位置する飯田地方、例年ならば春のドカ雪はこれからになる。しかしこの暖かさでは、多分それも望めないだろう。
掲載の写真は“杉玉”、杉の雄花である。花粉症の人を悩ませるあの“杉花粉”を撒き散らす張本人だ。
この“杉玉”、アレルギーの人が増えた昨今では、まるで悪者のような扱いをされているが、私の子供の頃は、細い竹で“杉玉鉄砲(すぎだまでっぽう)”を作り、よく飛ばして遊んだものだ。当時、花粉アレルギーになる人はほとんど見られず、今のように悪者扱いされることもなかった。
その花粉症の原因だが、一説では昭和の時代に大量に植林され成長した杉が、ちょうど今花粉を飛ばす時期にあり、その絶対量が多くなったためと言われている。しかし、現代社会に存在する、化学物質などによる人の身体の変化は関係ないのだろうかと考える。
耳にすることが多くなった、化学物質過敏症、電磁波過敏症。そして、子どもたちに増え続けているアトピー性皮膚炎。どれ一つ取っても、人の身体が変わりつつあるように思える。専門的なことは分からないが、人の身体が鳴らす警鐘と思っても良いのかもしれない。
今後、社会の何を是正し、後世に何を残すのか。“後の祭”とならないためにも、人の身体の発した警鐘を真正面から受けとめ、真剣にその判断をする必要があると感じている。
斯く(かく)言う私、以前はなにも感じなかったのだが、昨年辺りからこの時期になると、花の奥にやや強い刺激を感じることが多くなった。今年はその感覚がかなり強くなっていると感じている。どうやら私も、いわゆる“花粉症”の仲間入りをしたようである。

2月も中旬を過ぎた。例年ならばまだまだ寒いこの時期だが、暖冬の今季、大した雪も見ないまま春が来る気配を感じる。それでも2月、まだ春と冬が同居しているのは確かである。
春に向けて“三寒四温”という言い方を耳にする。3日の寒い日と4日の暖かい日が繰り返されるというものだが、そもそもこれは、シベリアからの高気圧が、7日の周期で繰り返されることから起きる現象らしく、その影響を受けやすい中国北東部や朝鮮半島辺りで、冬の気候の表現として使われた言葉のようである。
日本では春先に見られる4日周期での変化に対して使うことが多く、3月の上旬頃の気候のことを言うらしい。
掲載の写真は姫踊子草(ひめおどりこそう)。ヨーロッパが原産の帰化植物。明治時代の中頃に渡来してきたものだが、今ではどこでも見られるポピュラーな野草となっている。春先は元より、夏の終わりの頃まで見られることがあるが、それでも春の野草のイメージが強い、シソ科オドリコソウ属の二年草である。
先日「今年は今から害虫が多くて困る」と、農家の人が嘆いていたのを聞いた。越冬したものもいるらしく、どうやらこの暖かさで、啓蟄(けいちつ)の時期を待たずに、虫たちは活動を始めているようである。
変わる気候に変わっていく動植物。長い歴史の中で積み重ねてきた知恵と経験の資産を、放棄せざるを得ないような事態は、できれば、時間をかけてでも阻止したいものである。

ロルフェナミン錠 撮影日:2007年2月18日 撮影:管理人メイアクト錠(抗生物質) 撮影日:2007年2月18日 撮影:管理人先日までの暖かさとは打って変わって寒い週末となった。暖冬の気温になれた身体には、かなり厳しいものがあるが、それでも2月というのを思えば、これが普通かと、耐えてもみる。
そんな寒暖の差に悲鳴を上げたわけではないと思うが、先週の初め頃から右上の歯茎が腫れ始めた。
じつはこの歯、昨年の夏の終わりにも同じように腫れて、歯科医の世話になった。虫歯ではないのだが上あごの骨から浮き上がり、抜歯が必要とのことだった。
炎症を鎮めるため、患部の処置と、痛みと化膿を抑える薬を処方してもらい帰宅したが、その後、風邪でも引いたのか、激しい下痢と発熱で体調を崩し、治療の継続を断念。幸い、2週間足らずで腫れは引き、そのままとなっていたところである。約半年前のことだ。
今回も、患部の処置と薬を処方してもらい帰宅。炎症が鎮まり次第抜歯の予定である。薬を飲み始めて2日後、また激しい下痢。発熱はさほどではないが、身体はかなり怠い(だるい)。昨年と全く同じ状態である。薬のせいだろうか。次の通院予定日までに、事の真相を確かめたく、ネットで調べてみることにした。
前回を含め、処方された薬は“ロルフェナミン(痛み止め)”と“メイアクト(化膿止め。抗生物質。)”。2種類同時の服用のため、このどちらの影響なのか分からないが、双方とも似たような副作用があり、当て嵌まるものがある。
今まで私は、薬物アレルギーなどは出たことはない。ゆえに、歯科医の「薬に対するアレルギーのようなものはありますか?」の問いには、当然ながら「特にありません」の答え。心配もしていなかったのが正直なところである。
もっとも、全ての薬を試したわけではなく、今まで出なかったというだけで“薬アレルギーはない”と思うこと自体、少々乱暴な判断と思うが、個々に対する検査システム自体ないというのも実状だろう。
今は、どんな医療も、化学薬品なしでは難しいのが現状かもしれない。だが、その副作用の詳細は患者の耳に入ることはほとんどない。今回、もしその内容分かっていれば、最初の症状が出た時に、その服用を止めていたのは確かである。
こうして表に出るものは、その症状が見えるだけまだ良いとも言えるが、やはり、むやみに化学薬品に頼ることは避けた方が無難なようである。
高齢化が進み、益々医療・薬などの役割は大きくなる。末期の病など、適した投薬によって救われた人もかなりいることと思う。しかし、安易に薬が使われ過ぎるという指摘も耳にしている。その結果として、製薬会社及び、その関係機関に属するもののみが太って行く、そんな図式は見たくはない。
適正・適量の投薬がなされているか、きちんと検証できる仕組みは必要だろう。保険制度が危ぶまれている今、それだけでも国の抱える医療費は、かなり削減できるはずである。

なお、今回私が調べた二つの薬の情報の載っているサイトを下に記す。気になる人は調べてみるのも良いかもしれない。
ロルフェナミン メイアクト そのサイトのトップ

梅の蕾(つぼみ) 撮影日:2007年2月12日 撮影:管理人梅の蕾(つぼみ) 撮影日:2007年2月12日 撮影:管理人低気圧の接近で全国的に荒れ模様の今日、九州から東海・関東辺りまで、春一番が吹いたとのこと。飯田地方は朝から激しい雨が断続的に続いている。
掲載の写真は近くの駐車場に植えられている梅である。撮影したのは連休最終日の12日。天気は快晴。やっとほころび始めたというところだろうか。
この梅、一昨年・一昨昨年と年末から正月の頃に花を咲かせていた。昨年は遅かったものの、暖冬の今年、その開花も早まるのかと思ったが、2月の中旬でこの状態である。野草などの芽吹きが早まる中、なんともしぶといやつと感心もしたが、少し不思議な気もする。梅の蕾(つぼみ) 撮影日:2007年2月12日 撮影:管理人
そういえば、梅は夏の終わりから秋にかけての気温で、その開花の時期が決まるというのを聞いたことがある。実際、夏から秋の気温がどう作用するのか、その仕組みの詳細は知らないが、昨年までの比較で見る限り、春先の気温だけでその開花が決まるわけではなさそうである。その平均は2月13日ころらしいが、今年は平均に近いということになるのだろうか。
益々気候変動の大きさが感じられる昨今、今後、こうした植物たちの生態がどう変わっていくのか、彼らの持つ自然の知恵が試されるところだろう。
斯く(かく)言う我々人間は、はたしてその変化に対応できるだけの知恵があるのか、やはり気になるところだが、経済発展のみに目を奪われ、それが失速する怪訝からか、温暖化を抑止するそんな方策一つ、いまだに立てられない生物に、その変化に対応できる知恵が備わっているとは到底思えない。なんとも寂しい限りだが、それが実状かもしれない。
政界・経済界を含め、社会も、人の振る舞いさえも、そんな寂しい現状が見え隠れしている。変えようと思わなければ何も変わらないだろう。
自分自身の反省も踏まえた上で、自然も、社会も、人の生き方も、もう一度見直してみたいものである。

蛇苺(へびいちご)の花 撮影日:2006年2月11日 撮影:管理人蛇苺(へびいちご)の花 撮影日:2006年2月11日 撮影:管理人今日を含め連休となった週末。幸い天候にも恵まれ、遠出をした人も多かったのではないのだろうか。
仕事柄、連休とは全く縁のない暮しだが、2週間以上掛かりっきりになっていた仕事は一応一段落。ただ、最後にオソマツな“落ち”は付いたが。
昨日の日曜日、やや風は強いものの快晴。その陽気に誘い出された訳ではないが、久しぶりに山の麓まで足を運んでみた。
その山の麓にある、電力会社所有の日当たりの良い斜面。一昨年辺りから、秋にカンゾウの芽吹きが見られ、植物の生態の異変を感じた場所である。
そのカンゾウは、さすがにこの時期はまだ土の中で眠っているらしく、姿は見られなかったが、小さな黄色の花を咲かせている蛇苺(へびいちご)を見つけた。見てみれば、その周りにはヨモギも顔を出し始めているようだ。
かなり久しぶりの撮影である。多少のピンのずれは、“ご愛嬌”と容赦していただくとし、そこで見つけた蛇苺(へびいちご)の花を、今年もなんとか廻りつつある山麓の春として掲載する。
温暖化のせいなのか、数年前から1ヶ月以上早く感じるこの時期だが、どうやら今年も冬は終わり告げて、不穏ながらも、変わって行く季節は感じることができるようだ。
この先、この国の四季がどう変化していくのか、その不安は増す一方だが、たまには咲き始めた花に春を感じ、理屈抜きにそれに浸るのも良いのかもしれない。そう思う私も、やはり自然界が産んだ、“ただ”の動物なのだろうか。

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