« 前ページへ


初冬の姫女苑(ひめじょおん) 撮影日:2006年12月2日初冬の姫女苑(ひめじょおん) 撮影日:2006年12月2日12月も早中旬、今年も残り半月あまりで終わることとなる。昨年同様に今季も秋の短さが気になったが、急激な気温低下の賜物か、僅かの期間だが木々たちの演出する彩りの世界は楽しむことができた。その木々たちも今は葉を落とし迫りくる冬に備えている。
写真は山麓公園内に見つけた姫女苑(ひめじょおん)。本来は今の時期は見られないものである。春、4月の終わり頃から春紫苑(はるじおん)が咲く。6月の下旬頃、その終わりと重なるようにこの姫女苑(ひめじょおん)が咲き始めるのだが、その花の期間は以外と長く、例年10月中旬頃までは咲いているのが見られる。
その時期を見誤ったのだろうか、12月の寒空の下、まるで盛りの頃のように至るところで咲いていた。初冬の姫女苑(ひめじょおん) 撮影日:2006年12月2日多分、実を付ける前に寒さで枯れてしまうとは思うが、かなり強い違和感を覚えたのは確かである。益々二極化が進む季節の中で、こうした植物たちに見られるように、その異変はかなり大きなものになっているように感じてならない。
昨今、いざなぎ景気以来の好景気と報道などで耳にすることがある。リストラの名目で弱者を切り捨て、その結果太り始めた一部大手企業や、公共投資と金利引き締めで肥満気味の金融機関は別として、我々庶民には迫りくる冬のように寒々とした現状が見える。経済格差は広がり、まるで壊れつつある自然界に、今起こっている季節の二極化のようである。
自然にしても、経済を含む社会の問題にしても、現実に見えている現象の奥底で進んでいる“事の本質”をきちんと見定める必要がある。さもなくば、どんな対策も全く意味を成さなくなる。

冬枯れの山麓 撮影日:2006年12月6日 撮影:管理人冬枯れの山麓 撮影日:2006年12月6日 撮影:管理人12月に入って最初の投稿となる。
今日、12月7日は二十四節季の一つ“大雪(たいせつ)”。本格的な降雪が始まる頃とされているが、長野県でも南部にあたるここ飯田地方に、まとまった雪が見られるのは年を明けた1月の中旬頃からとなる。
昨年は、12月早々にかなりの雪が降り、驚いた記憶がある。今年は、先日風越山(ふうえつざん)に初冠雪が確認されたというのは聞いたが、今のところ、麓も含めて積もるような雪は降ってはいない。しかし、どんよりと曇り、寒々とした今日の空模様は、“大雪(たいせつ)”の名の通り、本格的な雪の季節に入ったことを強く感じさせる。冬枯れの山麓 撮影日:2006年12月6日 撮影:管理人
掲載の写真は山麓公園の脇から山の頂上に向かってやや上った川沿いの場所。葉の落ちた木々と、枯れた草の間を流れる小さな川が、冬特有の色を醸し出していた。春とは違い、自然の奥底にある秘めたエネルギーを感じることが出来るこの時期に、山の中に身を置くのは、その静寂さも手伝って結構心地良いものだ。
覆っていた草や葉が消え、夏場見えなかったものが見えるようになり、まるで来春に向けて自然界の初期化の時とも思えるが、長い時の流れの中で受け継がれて来たものは、きっちりと土台として残っている。
昨今聞こえる政界の茶番劇。一見、真と偽が見え難くいように思うが、内容は単純なものである。報道する側とされる側、それを受けとめる側も含め、一旦“余分な葉”を落とし、全ての初期化を考えた方が良いのだろう。そうすれば本来の土台は見えてくるはずである。基にどんな土台があるのか、その方が重要な事柄となる。

« 前ページへ