« 前ページへ


釣鐘人参(つりがねにんじん) 撮影日:2006年9月27日 撮影:管理人釣鐘人参(つりがねにんじん) 撮影日:2006年9月27日 撮影:管理人台風の影響もあるのか終日雨の日が続いている。そのためか気温も低く今年の秋も終わりなのかと心配になる。予報では、週末の頃から天候も回復してくるということだが、是非穏やかな秋空が見られることを望みたい。
9月の撮影となる。昨年までは見られなかった場所だが、山麓公園近くの斜面に釣鐘人参(つりがねにんじん)の群生を見つけ、カメラに収めることにした。
花は小さく、その色は淡いため、あまり目立つ野草とは思っていなかったのだが、これだけ群生するとさすがに見事なものである。
その根は薬草として利用されるらしく、初秋のころに掘り起こし、外皮のコルク層をはいで天日で充分乾燥させ、それを煎じて飲むようである。生薬では沙参(しゃじん)と言い、喉の痛みや咳・たんなどに効果があるということだ。

釣鐘人参(つりがねにんじん) 撮影日:2006年9月27日 撮影:管理人 釣鐘人参(つりがねにんじん) 撮影日:2006年9月27日 撮影:管理人 釣鐘人参(つりがねにんじん) 撮影日:2006年9月27日 撮影:管理人

また、若芽は“トトキ”と呼び、山菜としてはかなり有名らしい。「山でうまいはオケラにトトキ、里でうまいはウリ、ナスビ。嫁に食わすのも惜しゅうござんす」と言われたようである。
なんとなく“嫁”という立場と、人の浅ましさが見え隠れする諺(ことわざ)だが、人に食わすのも惜しいくらい美味いということなのか。
そんな人の思いなどはどこ吹く風、その群生するその釣鐘人参(つりがねにんじん)は夏の終わりと秋の到来を告げていた。
来春はこの場所に若芽を探すのも面白いかもしれない。

天狗茸(てんぐたけ) 撮影日:2006年10月1日 撮影;管理人天狗茸(てんぐたけ) 撮影日:2006年10月1日 撮影;管理人10月、秋もいよいよ深まりを見せてきた。まだ紅葉には至らないが、辺りの木々は迫りくる冬のための準備をしているように見える。この時期の山麓公園では、いたるところで多種多様の茸類を見かけるようになる。
掲載の写真は“天狗茸(てんぐたけ)”。茸類の知識の乏しい私でも名前くらいは知っている有名な毒茸である。
実際目にするのは初めてだが、形、模様とかなり目立つ。その風体に誘われた訳ではないが、久々地面に這いつくばっての撮影となった。
この茸、傘の部分を火で炙り、冷めた後水に濡らしておくと、集った(たかった)ハエが死ぬらしい。そのため“ハエとり”・“ハエとりもだし”などと呼ぶ地方もあるということだ。ちょっと面白そうなので試してみようかと思ったのだが、後日訪れた時には誰かに取られたのか、すでになくなっていた。

~以下、ネットから仕入れた情報~
和 名 天狗茸(てんぐたけ)。
学 名 Amanita pantherina (DC.:Fr.) Krombh.
科 属 テングタケ科、テングタケ属。
夏から初秋にかけて針葉樹、広葉樹林などの根元に発生する。
地方名 ごまたけ、だしとり、だし、てんぐはえとり、はいころし、はえとり、ごまなば、はえとりもだし、へびきのこ、はころし、てんぐ
毒成分 イボテン酸とその分解産物のムッシモ-ル。
神経に作用し、食べると幻覚症状を引き起こす。量により死に至ることもある。
かなり美味いらしい(食べない方が賢明なのは当然である)。

蔓穂(つるぼ) 撮影日:2006年9月25日 撮影:管理人蔓穂(つるぼ) 撮影日:2006年9月25日 撮影:管理人いよいよ今日から10月、衣替え(ころもがえ)となる。衣更え(ころもがえ)とも書くこの習慣、平安時代に宮中の夏服と冬服を切り替える“更衣(こうい)”と呼ばれる行事が始まりと聞く。中国に倣って、初めは4月1日と10月1日に行なわれていたらしいが、明治頃から、官庁を始まりに6月1日と10月1日になったようである。ちなみに沖縄では気候の違いからか、5月1日と11月1日が切り替え日となる。
掲載の写真は蔓穂(つるぼ)、参内傘(さんだいがさ)ともいう。花の形が公家や大名などが参内(さんだい)の時に従者にさしかけさせた長柄の傘に似ていることから付いた名と聞く。9月から10月頃に、日当たりの良い土手などに群生しているのが見られる、ユリ科ツルボ属の多年草である。
この野草、鱗茎(りんけい)部分(球根のこと)は澱粉(でんぷん)を多く含み、食料として古くから食べられていたらしい。その後、米などの穀類が栽培されるようになり食料とされていたこと自体忘れ去られていたそうだが、豊臣秀吉の命で、朝鮮半島に出兵していた加藤清正が持ち帰った、中国の明時代に記された文献“救荒本草(きゅうこうほんぞう)”の中に、飢饉の時に利用する野草としてこの蔓穂(つるぼ)があり、食料のみならず薬草としても見直されたようである。
今の時代、こうした野草を飢饉の時の食料と考える人はまずいないだろう。だが、我が国の、穀物など農産物の自給率が極端に低い現状を思えば「それは昔のこと」とも言えなくなってくる。
何を守り、何を残せるのか。それを育む自然環境を含めて、いかに己たちの問題として解決の方向を探っていけるのか、自然と共に生きていた昔の人々の知恵と強かさは、その大きな道しるべとなるのかもしれない。

« 前ページへ