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ツバメの巣梅雨を前に降りそうで降らない蒸し暑い日が続いている。さすがに30℃を越えることはないが、それでもこの急激な気温の上昇は結構応える。
いつも通る道路沿いにある家に、毎年ツバメの子育てが見られる巣がある。せわしなく餌を運ぶ親鳥や、その餌をねだる雛の様子が運転中の車の窓からでも見ることができる。
人の家の玄関先ということもあり、昨年までは気安く近距離での撮影ができなかったが、今年、友人の好意で使わせてもらっている、12倍ズーム機能付きカメラの力を借りて、今年はちょっと大きめの撮影ができた。
この雛が巣立つ頃、本格的に蒸し暑い季節へと向かうわけが、昨年の秋からその異常さが際立ってきた気象状況に、環境を壊し続け、その要因を作ってきた我々人間たちがいったいどんな対処するのか、ツバメたちは上から冷ややかに見ているのかもしれない。

甘野老(あまどころ)甘野老(あまどころ)6月に入り山の麓の木々たちも、その緑を益々濃くしながら春の終わりを告げているかに見える。これから梅雨、夏と、木々も野草もその勢力を一層伸ばす季節になる。
写真は、日頃足を踏み入れる山麓公園の林の中で見つけたもの。甘野老(あまどころ)のようだが、園芸用とは違い葉には斑は入っていないようである。
山芋の一種の、野老(ところ)と呼ばれる“鬼野老(おにどころ)”と似て、根茎に甘味があることからその名が付いたということだが、ヤマノイモ科ではなくユリ科アマドコロ属の多年草。
薬効成分もあるようで、その効能は、滋養、強壮、強精、老化防止、美肌、色白、脳卒中、糖尿病、胃潰瘍などかなり幅広い。
こうした野草の恩恵も、山々がもたらす恩恵も、豊かな自然と四季があったからこそだが、その環境が変わりつつある今、人の存在を守る意味でも、自然と共に生きて行けるそんなシステムを作り上げる必要を感じる。次世代に何を残せるのか、今を生きる私たちの課題は多い。
日陰で見つけたその小さな野草は何も語ることはなく、ただ、廻ってくる次の季節をじっと待っている。

棚田土手の野蒜野蒜の花今日から6月、衣替えである。
宮中の行事として始まったと聞くこの風習、中国に倣い旧暦の4月1日と10月1日に行われていたようである。
当時「更衣」と呼ばれ、宮中の年中行事のひとつとされていたといわれるが、四季のはっきりとした我が国の風土にぴったりと合っていたため、衣替えとして民間にも広まったということだ。
明治以降に、今で言う国家公務員の、制服の夏服と冬服を替える日を定めたことから、現在の6月1日と10月1日が衣替えの日として定着したようである。
写真は田植えの始まった棚田と、その土手で見つけた野蒜(のびる)の花である。昔から目にしてきたこうしたものは、今の季節と、その先やってくる梅雨と夏を肌で感じることのできる風景だが、変わる気候と現代社会の中で、決まりごととして定着している衣替えと違い、その景観と共にかなり危うい存在になりつつある。

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