◆ざわめく心の感じるままに…

Motohide Matsushitaさんの投稿 2023年9月17日日曜日

CD九つの物語 2015年12月13日に発売の「三浦久」氏のニューアルバム「九つの物語」。12月15日に私の所に届いた。
 実はこのCD、昨年11月29日の「オーリアッド・サタデーナイトオープンマイク」の時、初めて聞かせてもらった、三浦氏の新曲「菅野有恒」が収録されるということで、今年の6月頃に、収録前の今からでも可能ならばと予約したものである。
 「菅野有恒」氏。陸前高田で写真館をやっていたという彼、震災の時、彼の妻と共に津波に飲み込まれ帰らぬ人となった。 私が、「菅野有恒」の名を知ったのは、東北と繋がりの深いシンガー「豊田勇造」氏のホームページのBBSに、その経緯が載っていたのを目にした時である。 菅野有恒氏は、ご夫婦で陸前高田のジャズタイムジョニーでの豊田勇造氏のライブを30年以上に亘って主催していた人物だ。
私が、震災の翌年の10月に、その豊田勇造氏のフリーライブ「東日本勇造ファン支援ライブプロジェクト、さあ、もういっぺん」に参加した時、その菅野有恒氏のお母上とご子息にお会いしたことが、さらに有恒氏の名を心の中で拡大させる結果となった。
 三浦久氏と、その菅野有恒氏が、音楽を通しての繋がりがあったという事実は、正直びっくりしたが、私も、三浦氏の歌う「菅野有恒」がCD化されることを熱望した一人である。
 CDに収録されているのは9曲。三浦氏の音楽の拠点、オーリアッドを歌った「オーリアッドバンドの歌」から始まり、全ての人への願いとも思える「ガビオタの海」で終る。その全体の構成にも、一つの流れのようなものを感じる。収録には、陸前高田で亡くなった菅野有恒氏と友達だったという、やなぎ氏と、「やぎたこ」の相棒である辻井氏も加わり、アレンジディレクターは、そのやなぎ氏が担当したということだ。
サウンドとしては少々歯がゆさも感じるが、全体的にシットリとしていて、今の三浦氏をそのまま表しているような、繰り返し聞きたくなる、なんとも良い感じのCDである。私のお勧めの一枚といったところだろうか。
 私が音楽から離れて32年以上、ようやく再開はしたが、CDを聞くには仕事用のパソコンしかないのが現状だ。いろんな意味で、己の指標とさせてもらっている三浦氏のCDを買うのは、これでやっと2枚目となる。せめて、パソコン以外でCDを聴く環境が欲しいと思うこの頃である。

 長年続いた一党支配。2001年から2005年まで続いた政権時代に今までとの流れが変えられ、その後、与野党逆転で政権交代はしたものの、慣れない俄か与党のためか、結果として今まで抑えていた箍を外してしまった。再び返り咲いた現与党は今の政権を生み出したのだが、これ幸いとやりたい放題とも思える動きのままに、国の方向まで変えられつつある。
そんな中、昨日14日に総理大臣談話が閣議決定され、今日15日に発表となった。「侵略」・「植民地支配」・「痛切な反省」・「心からのおわび」などが盛り込まれたものの、全体的におぼろげで、どうしても釈然としない。今、審議中の、戦争法案とも思える安保法案を強引にでも決定したいとの意向が見える中で、まるで他人事のように、言葉のみを羅列しても、何も伝わってこないというのが、正直なところだろうか。

 終戦から70年が過ぎた 。2015年8月15日、終戦記念日の今日、今年も式典が行なわれ、黙祷が捧げられた。慰霊の意味も含めて、戦争の記憶を風化させないためにも式典自体は否定したくないが、“仏作って魂入れず”ではないが、形だけ残しても意味はない。そのことを含めて、違憲といえる法案がまかり通ろうとしている今日では、その法案をハッキリと拒絶しない限り、どうしても片手落ちの感は否めないだろう。

 漠然と思い描くだけでは守れないものがある。止められないものがある。昨年の年末の選挙でなないが、今後も個々の意識と動きがかなり重要となるはず、次世代を担うものたちに「あの時の大人たちの判断が・・・」と言われないためにも、現状をしっかり見極め、声に出していきたいものだ。

余談だが、あるお笑いタレントが交通事故と戦争を例えに上げて、「このままでは当て逃げされる、だから当てられないようにする事が・・・」と言ったとか言わなかったとか・・・。その思考の幼稚さには愕然とするが、他国との関係をそう見る人が居るということに怖さを覚えるのは私だけか。

〇管理人(セット)

広場に作られた「おんべ」 一応我が家でも、真似事の小さなお供え餅を作る。今年は珍しく、玄関先に正月飾りも吊るして、人並みに新年を祝ってみた。
正月三が日が過ぎ、1月7日、松が取れる日、玄関先の正月飾りを外したのは良いのだが、さてこれをどうするか。縁起物ゆえ、ゴミとして出すのはやはり躊躇われる。
「どんど焼き」で燃やすのが昔からの慣わしだが、今年のどんど焼きの通知は見ていない。人の都合で変わってきている神事の日ゆえ、多分、11日がその日だろうと思いをめぐらす。11日は鏡開き、本来重なるはずのない二つの神事が重なることになるのだろうか。
 写真は1月10日、いつもの広場に作られた「おんべ」である。11日の朝、これに火をつけて「どんど焼き」となるが、朝が遅い我が家では、目覚めた頃には、多分終わっているだろう。その「おんべ」に、我が家の小さな正月飾りを押し込んで今年の無病息災を祈る。庶民のささやかな幸せ祈願である。