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豊田勇造ライブ・ライブハウス「ふぁの」にて 撮影日:2008年4月17日 撮影:管理人南シナ海で早くも発生した台風1号の影響もあるのか、通過する低気圧のため各地を大雨が襲っている。ここ飯田地方でも、昨日(17日)から雨となった。午後辺りから昇降状態になったものの、夜半の強い降り方には、昨今の気候変動の記憶が重なり、かなり不安な気持ちにさせられる。
そんな雨の日の夕方、あるシンガーのライブを見るため、連れ合いと共に市街地のライブハウスまで出向くこととなった。シンガーの名は「豊田勇造」。京都出身のシンガーソングライターである。以前からこのブログを見ている人には憶えのある名かもしれない。実は、彼のライブの記事を載せるのは今回で二回目となる。
この時期、この地でのライブをもう10年続けているという彼は私よりやや年上。ボブディランに触発されて今の世界に入ったという話しだが、毎年訪れるというアジアを歌う曲には、その情景と彼の想いが同居する。そろそろ還暦を迎えるという歌声は、昨年より幾分衰えてきたようにも思えたが、ストレートなその表現に、彼の持つ世界の中に違和感なく引きずり込まれる。向けるカメラに緊張気味の勇造氏♪ 2008年4月17日:管理人
前回を含め、ライブが行なわれたのは、知人の経営・運営するライブハウス、「ふぉの」。彼を含め、アンダーグラウンドで活動するシンガーには、こうした小さなライブハウスの存在はかなり大きいと思われる。当然、まるでオアシスを求めるように集まる人々にとってもそれなりに必要なものと思うが、こうした店、今では、全国合わせても10軒程度しか残っていないということである。寂しい話しである。
経済格差は広がり、人の心は荒廃していく。経済失速から、当然のように弱者切捨てに向かっている今の社会に、この国の行く末が心配されるが、掛け値なしの彼らの生き方に、今の世の軌道修正のヒントがあるように思えるのは、この夜のライブの余韻のためだけではないのかもしれない。
ブログのネタにすると告げて向けるカメラに、照れを隠しながら、やや緊張気味に姿勢を正す彼の姿に、人の良さとほのかな温かさを感じ、また来年もこの地、この場所でライブをしてくれることを祈りながら、店を後にした。
なお、余談になるが、狭い場所での長時間の同一姿勢はかなり腰に負担になるようだ。毎度のことだが、また腰痛に苦しみながらこの記事を書いていることを最後に付け加えて、今回の投稿を締め括る。おそまつ!

※昨年の同シンガーの記事「あるライブ

4月も中盤に差し掛かり、朝晩の冷え込みのせいで、その散る時期を延ばしていた街中の桜の花も、そろそろ桜吹雪となるころだろうか。その冷え込みも、ややゆるやかに感じる今夜の気温である。
普段、私は、徒歩で10分足らずの距離にも拘わらず、夜の街中にはあまり出向くことはない。しかし、あるシンガーのライブを見るため、連れ合いと共に久しぶりに夜の市街地へと出かけることになった。
「豊田勇造」それがそのライブを行なう人物の名である。いわゆる、シンガーソングライターの部類と思うが、正直なところ、その名を知り得る人はそう多くはないかもしれない。私自身、一昨年のころ、知人から聞かされた名ではあるが、そのライブに出かけるのは今回が初めてである。そんな訳もあり期待半分で市街地にあるライブハウスのドアを開けた。
私の若かりし頃は、アンダーグランドミュージックと呼ばれる領域で、小さなライブハウスを中心に活動をしているミュージシャンが多くいた。今までの固定された“歌手”という概念を捨て、社会風刺を含め、自分たちの想いを自作の曲に込めて歌う彼らに、まるで憧れを抱くかのように、若者たちは皆、ギターをかき鳴らし濁声を上げて歌ったものである。
だが、世の流れが変わる中、徐々にその形を変え、現存する芸能界の中に、まるで吸収されるかのように消えていった。
このライブ、そんな遠い良き時代を思い起こさせてくれた。当然、私にとって心地良いものとなったのは言うまでもないが、曲の合間に35周年の記念コンサートのことを話す彼の生き方が、バブルに浮かれ、バブルに踊り、その崩壊で荒み、結果として格差社会に突き進んでいく今の世の中で、“ひときわナチュラル”に思えたのは、私の、ノスタルジーのせいだけではないのだろう。
今後、私が、ライブを含めて、彼の歌に耳を傾けるかどうかはまだ分からない。だが、仕事を含め、諸々に積み重なるものに痛めつけられていた私の心の中を、まるで山の麓の風のように、郷愁と心地良さを残して駈け抜けていったことだけは確かである。

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