
飯田地方の寒さもやっとその峠を越えたのか、昨日は12℃近くまで上がり日中では暖房も要らないほど。この頃の灯油価格高騰もあり、暖かいことは嬉しいが、この急激な気温上昇には、今までと違う、大きな気候の変化を感じざるを得ないのが正直なところである。
各地で異様な寒さを感じた今季だが、そんな寒さにも恩恵と言えるようなものがあるようだ。諏訪など、長野県の中信と言われる地方では、冬の寒さを利用して寒天作りが行われる。自然の気候を利用した保存食料のひとつとも言えるものだが、近年は冷え込む日が少なく、良いものができなくなったと聞いている。そんな寒天業者には、今年の冷え込みは嬉しい寒さとなったのではないだろうか。
写真は“大根干し”である。輪切りにし、茹で上がった大根を冬の寒さに晒して乾燥させるものだが、地域によっては「凍み大根(しみだいこん)」と呼ぶところもあるようだ。これも、冬の寒さを利用して食物を保存する先人の知恵。
実は、私には“大根干し”とは“切干し大根”のイメージが強く、幼い頃の記憶を含めて、この光景は浮かんでこなかった。多少の地域差なのだろうか、我が連れ合いに言わせればこちらの方が正当ということだ。以前、暖冬のせいもあったのだろうか、カビが生えて失敗してしまった“大根干し”も、今年の寒さのためか、連れ合いの少々雑な干し方にも出来は上々のようである。
こうして寒さを利用するもの、日に干すもの、細菌の力を借りて醗酵・熟成させるものなど、昔から自然の力を利用した保存食作りはいろいろある。だが、市場に出回る関係なのか、工業化が進み、添加物を加えるもの、薬剤などにより殺菌されるものなど、その安全面から少々疑問を持たざるを得ないのが現状である。
最近の“餃子騒ぎ”ではないが、本来の意味で食の安全を問うならば、一次産業の現状とそのあり方を含めて、まずは己たちの足元から見直す必要があるだろう。それには、我々消費者の食への意識向上が不可欠となる。
ところでこの“大根干し”、煮込み鍋に入れられ腹に収まったのだが、味の方も上々ということで一件落着となる。

気が付けば2月も20日以上が過ぎてしまった。連日続いた極寒の日々もそろそろ峠を超えるのか、急激に和らぎいできた。昨日の日中、気温は10℃を越え、今日の最高気温も13℃の予想である。やっと緩んだ寒さに、このまま春の穏やかな気候への移り変わりを期待したいところだが、予報では、週末にはまた真冬の寒さに戻るとのこと。気温の変化に一喜一憂する日々はもうしばらくは続きそうである。
写真は飯田市の松尾地区にある城址公園の桜である。撮影は先月の終わり。さすがにその蕾はまだ固いようだが、それでも、来るべく開花の時期に向かって脹らみはじめているように見える。
ただ、ここの桜、手入れが悪いのか天狗巣病(てんぐすびょう)らしき形状の枝が目立ち始めている。
ソメイヨシノの寿命はおよそ60年と聞いている。人の手によって改良された桜たち。元より人のために植えられているものである。せめてきちんと剪定をして、少しでもその命を延ばしてやりたいものである。
昔から「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」と言われる。桜は切り口から細菌が入りやすく、無闇矢鱈に切り落とせば木を枯らす結果となる。切り口の処置が必要なのである。梅はその成長の早さから、切り落とさなければ枝は伸び放題。当然日当たりは悪くなり、実の収穫が減ることとなる。きちんとした剪定とその後の処置。梅も桜もそれに適した手入れが必要ということなのだろう。私の勝手な解釈だが、「適した対処をしなければ、せっかくのその行動も仇になる」の例えではないかと思っている。温暖化対策を始め、騒がれている某大国との安保条約・地位協定、給油新法(新テロ対策特別措置法)、暫定税率、年金問題、医療問題、経済への対応等々、その全ての対応策が「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」とならぬことを心底祈るが、我々個人個人としても、せめて表面に見えているものの奥にある本質を見抜ける目は持ちたい。さすれば、おのずからその適切な剪定方法は見えてくるはずである。
上雪(かみゆき)の時節

昨日の日曜日、飯田地方は今年2度目の大雪となった。南から近づく低気圧の影響で太平洋側に降る湿った雪を、この辺りでは上雪(かみゆき)というが、昨日降った雪はまさに“それ”である。本来、もう少し先の春先に降るドカ雪を指すが、温暖化のせいなのか、年々その時期が早まっているような感じである。15cmから20cmほど積っただろうか、朝からその雪掻きに奮闘したのだが、湿って重いその雪に、我が腰は少々辛い状態となった。それもあり、そろそろ春の暖かさが恋しくなってきている。
明けて今日、2月の4日は立春。
暦の上では春となるが、日中の気温は低く朝晩の冷え込みはかなり厳しい。立春といえども実際の春はまだまだ先のようである。昔から、上雪(かみゆき)が降る頃にはその向こうに見える芽吹きの季節を強く感じたものだが、そんな情景も今後は大きく変わってしまうのだろうか。
その立春の前日、つまり昨日は節分。この日、新たな春を迎えるために邪気を払い無病息災を願う豆撒きの慣わしがある。中国から伝わったといわれている“追儺(ついな)”の儀式と、古く日本で行なわれていた“豆打ち”という邪気を払うための儀式が融合したものと聞いているが、昨年末から年頭と、体調を含め今一つパッとしない我が家の現状、今年は威勢良く豆でも撒いてその憂さを晴らしてやろうと思っていた。しかし、雪掻きの疲れのためか、不覚にもそれをすっかり忘れていた私である。
なんともお粗末な春の始まりとなったが、それでも、シャーベット状に溶け始めた雪を眺めつつ、暖かな春の到来を心待ちにしている。
川原の猫柳(ねこやなぎ)

寒波のせいで先週の半ば辺りから急激に気温が低下。ここ飯田地方も久しぶりに-10℃近い冷え込みが続いた。その寒さも、低気圧の影響なのかここ2日ばかり緩んだようだが、予報では週末にかけて再び冷え込みが厳しくなるという。そんな寒暖の差には、我が身体もさすがに対応しきれていないようである。
写真は猫柳(ねこやなぎ)。川原で見つけたものだが、日当たりの良さが影響するのだろうか、他の場所より一足先に銀の毛並みを見せてくれている。中間の季節が薄れゆく昨今だが、こうして春の芽吹きの兆しを見つけるのは、やはり嬉しいものである。
子年となり早一ヶ月が過ぎるが、
国の中枢の騒がしさは相変わらずようで、きちんと議論することもなく国民不在のままのドタバタ劇が続いている。なんともお粗末としか言いようがないが、それで浮彫りにされる事柄は、我々一人一人きちんと見定める必要がありそうである。
そんな最中に起こった餃子中毒事件。「あの国のものは買わない」、TVで耳にした或る消費者の言葉だが、業務用などを含め、その使用実態は明らかではない。価格コストのみに拘った結果と言わざるを得ないが、元より食料自給率の低いこの国である、これを契機に、もっと国内自給に目を向けるべきだろう。何を変え、何を変えずに守るのか、その答えによって国の行く末は大きく変わることになる。

1月も半月以上が経ち久々のブログ更新となる。ここしばらくは暖かな日が続いたが、南下した寒気の影響で急激に気温が下がってきている。北海道では-30℃を下回ったという話だが、聞いただけで身体が膠着するような気分である。ここ飯田地方も週末にかかけて結構冷え込むらしい。
そんな気候の変化が作用したわけではないと思うが、このところ我が体調はやや低迷気味。腰痛に加え、歯茎の腫れにも悩まされている。そんな時、連れ合いまでもが体調不良を訴え、災い多き年の後遺症なのか今一つパッとしない年明けの我が家の現状である。
そんな年に世を見渡せば、「偽」と呼ばれた昨年の風潮は相変わらずのようで、製紙業界までもが世間を騒がせている。企業の利益優先の体質は今始まったことではないが、戦後の発展の方向の間違いか、今の経済システムの欠陥か、金融機関を始めとして、全ての企業に一番肝心と思われる社会性が欠落していることが大きな問題のように思える。そんな中、政治の世界では、その意義すら疑問視されたままで給油新法(新テロ対策特別措置法)が再可決された。
大国の起こした行動に非難の声が上がり始めている昨今に、それを強引に押し通す真意がよく分からないが、この国の国際的なものの見方には、かなりの片寄りがあるのは事実のようである。
政治にしても経済にしても、どうやら、遠い未来を見越した長いスパンでの判断能力に欠けているらしく目先のもののみに走りたがるようだ。その先に見え隠れする結末は、我々のような一般人でも容易に想像できることと思えるのだが。
写真は梅の蕾(つぼみ)。撮影したのは今月の初め。まだまだ堅いようだが、開花に向けて少し膨らみを見せ始めている。夏の終わりから秋口の気温でその開花時期が決まるといわれる彼らも、この大きな寒暖の差には少々戸惑っているのではないのだろうか。そんな気候変動が続く中、早くも春の穏やかさが恋しくなっている己を感じるが、この気候同様、全てに激しい寒暖の差が目立つ今の人の世にも、暖かで穏やかな春が訪れて欲しいものである。