オオイヌノフグリ 大寒を過ぎ、寒さはこれからが本番と思っていたが、週末に来てかなり温かになってきた。今日は10℃近くまで気温が上がり、3月上旬の気候だという。その後には厳しい寒さが控えているらしく、この大きな寒暖の差は、60代の身体にはさすがに応える。
例年だと、2月の終わりころから見られるこうした気候だが、まだ1月、しかもその差が年々大きくなっているように感じられる。なんにしても、いつも穏やかな温かさに包まれる、春と呼ぶ季節の来ることを、心待ちにしているのは確かである。
 そんな、1月にしては妙に温かい日曜日の午後、まだ、融けきらぬ雪が少しだけ残る裏庭に、オオイヌノフグリが咲いているのを見つけた。どこにでもある野草の花だが、今年も確実に来るであろう春を遠くに感じて、早速カメラに収めた。たった一輪だが、それでも結構嬉しいものである。フキノトウ
 イヌノフグリを撮り終え足元に目をやると、もうフキノトウが顔を出していた。毎年顔を出す場所ゆえ、先日からかなり気になっていたのは事実である。現状4個、まだ、採って食するには、さすがに忍びないが、今年も顔を出してくれた“我が好物”に、ニンマリとしながら、カメラに収めたのは言うまでもない。これから2月・3月と、まだまだ寒さは厳しいと思うが、我が家の食卓に上るまで元気でいて欲しいものである。

 昨今、ラジオのニュースから聞こえてくる中東での事件に心を痛めながら、リーダーの行動とその発言の大切さを痛感することになった。そのリーダー選択の要因となった、「後10%増えれば事態は変わった」といわれている、あの衆院選の投票率の低さが、今、心底悔やまれる。
まだ情報が錯綜する中、二人の無事の帰還を心より祈るばかりである。

冬枯れの山麓公園 12月からの本格的な雪と大きな寒暖の差、本当に今年の冬は油断がならない。暖冬との予測のままに2月・3月と、どんな気候になるのか。昨年2月のような雪は御免蒙りたいが、まだ1月である、年々寒さに弱くなる、己の身体を励ましながら、春の訪れを待っている今日この頃である。
 そんな冬の最中、出たついでもあり、久々に山麓公園辺りを散策してみた。さすがにこの時期は人の姿はなく、葉を落とした木々が、風に揺れながら私を迎えてくれた。1月にもなればここら辺には、日当たりの良い場所に毎年小さな野草が芽吹き始めているはずと、辺りを見渡してみたが、まだまだ茶色の分布勢力が大きくて見つからない。今年は、例年より寒いということかもしれない。顔を上げると、桜の枝が目に入った。すでに蕾が付いている。硬いそれは、まだ春が遠いことを感じさせるが、これから、2月、3月と徐々に膨らみながら、春の開花を待つのだろう。
ハコベの蕾八重桜の蕾 空は晴れていたが、さすがに1月の風は冷たい。長居は無用とばかり、そそくさと車に戻ることにしたが、その道すがら、足元に小さな蕾をつけている野草が見えた。「ハコベ」のようである。本格的な寒さはこれからだが、山麓ではもう春の準備は整っているようである。
 年末、企てた者の思惑通り、投票率の低さから、知っての通りの結果となった衆院選に、国の冬の到来を感じた者も多いかもしれない。昔から「春の来ない冬はない」というが、この冬が明けるのはいつになるのか。年が明け、徐々に選挙結果のお粗末さが見え始めた今日、本当の春を呼ぶには、我々個人の意識と行動が必要なのだろう。桜とハコベの蕾に、やがて来る山麓の春を山の向こうに感じながら、そんなことを考えていた。明日1月20日は大寒、寒さはこれからが本番である。

広場に作られた「おんべ」 一応我が家でも、真似事の小さなお供え餅を作る。今年は珍しく、玄関先に正月飾りも吊るして、人並みに新年を祝ってみた。
正月三が日が過ぎ、1月7日、松が取れる日、玄関先の正月飾りを外したのは良いのだが、さてこれをどうするか。縁起物ゆえ、ゴミとして出すのはやはり躊躇われる。
「どんど焼き」で燃やすのが昔からの慣わしだが、今年のどんど焼きの通知は見ていない。人の都合で変わってきている神事の日ゆえ、多分、11日がその日だろうと思いをめぐらす。11日は鏡開き、本来重なるはずのない二つの神事が重なることになるのだろうか。
 写真は1月10日、いつもの広場に作られた「おんべ」である。11日の朝、これに火をつけて「どんど焼き」となるが、朝が遅い我が家では、目覚めた頃には、多分終わっているだろう。その「おんべ」に、我が家の小さな正月飾りを押し込んで今年の無病息災を祈る。庶民のささやかな幸せ祈願である。