安富桜(やすとみざくら)「花冷え」・「花曇り」・「桜冷え」、桜の咲き始めた我が地域、昨日辺りからどんより曇り、やや肌寒い。一昨日は5分~6分咲きだった大宮通の桜も、おそらく今日当たりには咲き揃うことだろう。日曜日ということで混雑が予想されるため、固より人ごみの苦手な私は、写真を眺めながら、今日はネット桜見物。
 掲載の画像は、4月1日に撮った飯田市美術博物館の「安富桜」。出かけたついでに撮影したものだが、まだ9時前ということと、金曜日ということもあって、人はまばら。まだ6分咲きといったところだろうか。アスファルトに囲まれたその環境に、ふと2006年の3月に見た根の再生処置を思い出すが、その後もプロによって手入れされているのだろうか、以前気になっていた花芽も付かない枯れたような枝はほとんど見られない。
 そもそもこの場所は、飯田城の二の丸があった場所らしく、その飯田城は、室町時代の飯坂城(愛宕神社のある場所)が今の場所へ移転されたとのこと。代々家老を務めた安富氏邸址にあるために「安富桜」と呼ばれたとのことだが、この場所に植樹されたのは、初代藩主堀親昌(ほり ちかまさ)が寛文12年(1672年)に下野国烏山藩より信濃飯田藩へ転封となった時と推定されているらしい。
 樹齢350年とも450年とも言われるが、そんな老木とは思えない、凛と立つその姿は、生きる尊厳のようなものを感じさせてくれる。

 違憲という事実と民衆の声を無視して、戦争法と呼ばれる安保法が施行された。その背景にある経済構造とそれによって利益を得る者たちの影が見え隠れする中で、先行きの不安だけが上から圧し掛かる。一昨年の選挙の投票率ではないが、阻止できなかった大人たちの責任はかなり大きいと言わざるを得ないだろう。今年行なわれるダブルになるともいわれる選挙だが、唯一国政に参加できる権利を放棄することなく、今回から投票権が与えられる、18歳の若者に恥じないように、皆が大人として責任を果たして欲しいものである。

 推定されるその樹齢から、数々の人々の愚かさを見てきただろうこの桜、あの戦争の総括も出来ないまま僅か70年で戦前に向っているこの国の情勢をどんな面持ちで見ているのだろう。雄雄しいその姿を見上げながらそんなことを考えていた。

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この時撮ったものをFacebookのアルバムとしてアップしてあるので、そちらもどうぞ。
美博の桜「安富桜」
また、2006年に、このブログの前身である「今日の一枚」の最終回で、この「安富桜」綴った記事があるので、読んでいただけると嬉しく思います。
旧今日の一枚