8月6日と8月9日。日本という国には二つの原爆の日がある。原爆による被曝体験がある。恐らく、名目だけでもそれを知らない人はこの国にはいないだろう。
65年目になる今年、それを投下した国の代表、ヨーロッパの核保有国の代表、そして、国連事務総長である潘基文(パン・ギムン)氏が参列する慰霊祭は、ようやくここまできたかと、それぞれの市長が述べる平和宣言が注目された。
「非核三原則の法制化」、「核の傘からの離脱」。口調、言い回しは違えど、両市長とも、唯一戦争によって被曝した国として、本当の意味で核廃絶の先頭に立つことを政府に強く要望するものとなった。
思えば、60年・70年の安保を含め、核の傘から、核の抑止力という幻想から離脱する機会は何回もあった。今年、長い一党支配に終わりを告げるように、ようやく政権交代がなされた国の動きに、微かだが期待を持った。だが、普天間基地移設問題などに端を発し、躊躇いもなくその方向を変えた前首相。広島市長の平和宣言の重みを知ってか知らずか「我が国には核の抑止力は必要」と述べた現首相。核拡散を怪訝して、核保有国が表面的にでも動こうとしている時に、最後の機会を逃すことになるような危機感を持ったのは、多分私だけではないだろう。
奇しくも日韓併合から100年目となる今年。多分、かなり複雑な思いで訪日しただろう潘基文(パン・ギムン)氏の心境を思うとき、定まらぬこの国の方向と態度が、心底恥ずかしく思える。

3年前の記事に重なるが、被爆と敗戦という経験の中で、もう一度、あの時代に何があったのか、何故戦争に突き進んでしまったのか、その時国民一人一人はどうすべきだったのか。“国の持つ戦争責任”も含めて、目を逸らすことなく全てを検証し総括する必要があるように思う。
真の意味でこの国が世界の平和のために出来ること、戦争放棄を謳った“憲法の理念”を理解し、 “全ての核保有国”に対し、核廃絶の必要性を、被爆の悲惨さと共に、自ら率先して伝え働きかけること。それが、唯一戦争によって被爆した国の責務の一つではないかと改めて感じさせた今年の原爆の日だった。もう65年目である。