南信州フォークソング・デイ会場風景 撮影日:2009年9月20日 撮影:管理人南信州フォークソング・デイ会場風景 撮影日:2009年9月20日 撮影:管理人シルバーウィーク初日、20日。飯田地方、台風14号の影響はほとんどなく、快晴の秋空が広がった。気温はやや低め。その台風の余波なのか、少々風が強いのは気にはなるが、まずまずの好天といったところだ。そんな秋晴れの中、JR飯田線の桜町駅近く、元飯田風越高等学校跡地にできた創造館の野外ステージを使い「南信州フォークソング・デイ」なる催し物があった。南信州にゆかりのあるアマチュアミュージシャンたちが集まったコンサートのようなものだが、出演者関係の人達がほとんどなのか観客はまばら。だが、秋晴れの空の下、そこはなんとも良い雰囲気を持つ空間となった。
僭越ではあるが、私も主催をした人物の好意で出演させてもらった。だが、そもそも野外は苦手、しかも30年以上活動から離れていた影響は大きく、かなり悲惨な結果となった。持ち時間20分の中で、選曲したのは昔のカビの生えたオリジナルを含めた3曲。その中に、最近仕入れた“豊田勇造”氏作の「雲遊天下」という曲がある。今後私が、こうした催しを含め、昔のように活動をするかどうかは別にして、20世紀を生きて来たひとりの日本人として、どうしてもカバーしたいと思った曲である。
急ぎすぎた経済発展。大切なものも忘れてきた時代。足を止め、もう一度辺りを見回わして、この国の本当の役割を見据えながら、背伸びをせず、速度を落とし、また歩き出そうではないか。我流解釈だが、この曲は、この曲の歌詞はそう訴える。それが、このサイト「バーチャルタウンいいだ」を立ち上げた時の想いと重なり、私の心を強く捉えたのは確かである。
戦後、某大国の思惑の中、貧しさから逃れるためもあったのか、農を捨て文化を捨て経済中心に突っ走ってきたこの国。その是非を問いただすつもりはないが、21世紀になり、経済は落ち込み、社会も人の心さえも荒廃していく中、足を止め、もう一度本来の進むべき方向と進む速度を見直しすことは、やはり必要なことではないのだろうか。その思いをさらに強くする。
戦後の復興も進み、経済も安定してきたころ、反戦ソングのようにフォークといわれる音楽が若者たちの中に広がったが、その流れはやがて世の不条理を正さんがごとく、権力に対してもかなりストレートな表現になっていった。そして、シンガーソングライターという名のプロが現れ、発禁の対象となった曲も生まれた。豊田勇造氏もそうした流れの中で、プロという道を選んだ一人だろう。
経済が、まるで止まるところを知らぬかのように上り始めた頃、嘗ての若者達はあのころの全てを忘れたように、経済の流れの中に吸い込まれていった。同様に、このジャンルの音楽も、そのミュージシャンやシンガーたちも、蝋燭の火が徐々に衰えるように世の中から見えなくなっていった。
今さら懐かしさだけでこうしたものに耳を傾けるつもりはないが、奏でる側、聞く側共に、当時のアンダーグランドミュージックといわれるものが、何故あの時代の若者たちの心を捉えたのかを考えるのは必要なことのように思える。
久しぶりに、音楽というものに対して“そう思える感覚”を取り戻させてくれたこの日の野外イベントであった。
最後に、今回の「南信州フォークソング・デイ」を企画し、その実現のために動いてくれた面々と、そんな彼らのホームグラウンドになっている飯田市街地にあるライブハウス「ふぉの」の存在に感謝しながら、今回の投稿を終わることにする。
なお、写真はこれだけではないが、演奏風景の写真とその詳細は、ライブハウス「ふぉの」のライブレポートに任せることとする。ふぉのライブレポート
また、豊田勇造氏は、来たる10月2日に飯田でライブを行なう。春に続いて、今年2度目となるが、そのライブの情報は豊田勇造ライブ・イン飯田に載っている。一度彼のライブを聴きに行っても良いだろう。