風越山(ふうえつざん)
◇ 管理人 - 2006年8月21日(月)04:00 - 未分類
この山、正式名称を「風越山(かざこしやま)」という。だが、地元高校の持つ名前のせいもあるのか、私を含め地元では「ふうえつざん」と呼ぶことが多い。
山頂近くには、718年(養老2年)に加賀国の白山霊場を開いた泰澄(たいちょう)によって開山されたという“白山社奥社”がある。そこに奉られている“白山妙理大権現”から、この山は「権現山(ごんげんやま)」と呼ばれていた。私自身子どもの頃にはそう呼んでいたのを覚えている。
標高1535m、山としてはやや低いが、その雄々しさゆえか、昔から皆に親しまれてきた山である。
異常気象が続く今日、こうした山の持つの自然の力は益々必要になってくる。そんな中、再開発と称する、麓を含めた市街地などの開発の動きが少々気になる昨今。元より自然が豊富な地である、それを壊すことなくこの地ならでは発展のさせ方はあるはずと思えるのだが。
山頂の“白山妙理大権現”はそんな下界の動きを愚かなことと見ているのだろう。
こんにちは〜(^^♪
少し御無沙汰でした。いつも読み逃げばかりですんませんm(__)m
それにしても毎日暑い日が続きますね。まだまだこの暑さしばらく続きそうですが。。。
標高が1535メートルともなれば、やっぱりかなり涼しいんでしょうね。
風越山麓ではエアコン要らずなんて羨ましい環境なんでしょう?
ところでこの呼び方、私は今まで「ふうえつざん」だと思い込んでましたが「かざこしやま」が正しかったんですね。まっ!地元の人がふうえつって呼んでるんだったらそれでいいんでしょうね。
今日も暑い!この頃は暑いので毎日家でゴロゴロと昼寝三昧ですわ(^_^;)
はい♪ご無沙汰ぁ〜♪
読み逃げですか。コメント入れるほどの記事がなかったかもね。
最近少々文章に疲れを感じる私です。
頂上の標高が1535m。この程度のものは山と認められていないようですね。山は山なんですがねェ。(^^;
麓辺りでも我が生息場所や市街地などと比べると2〜3℃近く低いと思います。私の部屋は日中37℃を越えることもしばしば。もっと山の麓に近づこうかしら。住むところ。
地元に「風越(ふうえつ)高校」という高等学校があるのですが、その呼び名から山の呼び名が変わっていったと聞いています。本当かどうかは分かりませんが・・・。
私の子供の頃はその意味も知らずに「ごんげんやま」と呼んでいたのですが。
ごろごろ昼寝三昧ですか。(^^;
まぁこれだけ暑いと、へたに外に行けば熱中症の危険がありますからねェ。
でもあんまりそれを続けると・・・〇りますよ。( ^ x ^ )モゴ!
夜になってもまだ暑いです〜(ーー;)
>コメント入れるほどの記事がなかったかもね。
いえ!いえ!そんな事はありませんです。ハイ!
私が最近ものぐさくなってるだけでして。。。(^_^;)
>でもあんまりそれを続けると・・・〇りますよ。( ^ x ^ )モゴ!
アハッ!それをいわれると。。返す言葉がありまへん。。。
息子は体脂肪一桁の超やせっぽち。で!私を見ながら
ブタボリックシンドロームになるよ〜♪と笑います(T_T)
多少雨が降ったせいか、こちらはいくらか過ごしやすいですね。
ものぐさは私も同じようのものでして・・・(^^;
>息子は体脂肪一桁の超やせっぽち。
ほぉ体脂肪一桁ですか。私も似たようなものですが今は一桁じゃありませんです。ハイ。
>ブタボリックシンドロームになるよ〜♪
(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!上手いことおっしゃる。・・・って失礼しました。
まぁ歳相応に常に身体は動かした方がよろしいようで。
もう少ししたら秋の気配が漂ってきます。そうしたらまたカメラを持って走り回れば大丈夫でしょう。きっと。(^▽^笑)
標高1535m、富士山からしたら低めだけど
山頂まで登るとなったらやっぱり大変そう(^^;)
でも白山社奥社へ行く為に登る方もいらっしゃるのでしょうね。
「街に活気を・・・」なのか開発が進んでいるようですが
自然を壊したり景観を損なってまで進める必要はないですよね。
あくまでも一般人の意見ですが・・・。
開発のために壊している自然こそが大切だということに
気づいてほしいと思いますが、ビジネスとなると忘れちゃうのかな(^^;)
結構勾配のきつい山道です。地元では、手前の虚空蔵(こくうぞう)山まではしょっちゅう登る人はいるようですね。
ただ、この虚空蔵(こくうぞう)までが結構きつく、そこから風越山山頂までは意外と楽だったように覚えています。
田舎の都会への憧れなのでしょうか、それとも土建中心の公共事業の弊害でしょうか、なんとなく世の中の風潮とは反対の方向に進んでいるように思う最近のわが街の変わり方です。
経済発展を望むのはある程度は仕方ないにしても、益々経済の格差が広がりつつある現状を考えると、今の米国型ともいえる経済システムには大きな欠陥があると思えます。もっと地に付いたシステムが必要な時期に来ているように思うのですが。
なんのための経済か、なんのための発展かその辺りをきちんと見定めないと、気がつけば畑・田んぼ・森はなく、山は荒れ放題ということになりかねません。
どこの街でも、どこの地域でも同じことと思いますが、次世代にどんな地域を、どんな環境を残してやれるのか、今を生きている私たち1人1人が真剣に考えないといけない時代ではないかと思っています。
そう言う私自身、何をどう考えれば良いのか、いまだ分からないままですが、目の前の経済の浮き沈みに一喜一憂せず長いスパンで物事を見られる“眼”くらいは持っていたいと思っています。