5月も、今日を入れ、残り3日となった。そんな5月の最初の投稿となる。
先日、Twitter(ツイッター)なるものを始めた。今一つ理解できていないのが正直なところだが、最大140文字の“つぶやき”を、フォローと言われる形で繋がった複数の相手に向かって発信するものらしい。先ほど「今一つ理解していない」と書いたのは、システム上のことではなく、その利用価値、存在価値、そしてその“存在する意味”のことである。

ブラウザがまだ画像表示もままらないころネットを始めた私、制作ツールもなく、ホームページを作るにも、エディタを用いて直接“※HTML”を打ち込む必要があった。未だにその方法から離脱できてはいないが、気をつけないと脹らんでしまうページの容量を抑えるためにはそれがベストと思っている。特殊な物を除き、手打ちが今でも私の基本である。
仕事として請け負う場合もそうだが、そうして苦労して作り上げるホームページ、当然その配信内容は時間をかけてしっかりと吟味する。出す側の責任、作る側の責任。ネットはと言え、そこは一般社会と同じである。公開すれば当然それが付きまとう。
BBS、ブログ、SNS、そしてツイッター。個人の公共性が気薄に思える昨今、その傾向強まる中でネット上に次々と登場するコミュニケーションツール。
本来、世に氾濫する広告やニュースなどの報道も同一の責任を背負っているが、それすらも見えなくなってきている現代社会に、こうした一見便利と思われるツールのもたらす物はなんだろう。対人の苦手な若者が増える中、それが気がかりな昨今である。
ようやく、選挙活動におけるネットの是非が議論されるようになったが、ブログやツイッターを始め、今後このインターネットという情報手段が人の社会に何を齎すのか、そのカギは我々一人一人の生き方・考え方が握っているのは確かだろう。
そんな余分な能書きはさて置き、我がツイッター生活の感想は、「少々うざったい気もするが、まだよく分からない」と言うのが本音だろうか。私のような、年齢の高い者向きではないのは確かなようである。

※HTML:
HyperText Markup Languageの略。タグで構成される。ホームページなどをネット上に表示させるための簡易言語。