日曜日のこと、買物に出たついでに市内の楽器店にギター弦の調達に行った。連れ合いを見張りに路上駐車。連れ合いの「あれって、店長さんじゃないの?」の言葉に店の方を見てみれば、ウインドウごしに見える禿げた頭のスーツ姿の人物。ちょっと足元がおぼつかない様子だが、紛れもない店の主だ。久しぶりに見たその姿にかなりの“老い”を感じながら、ドアを開け店内に入る。私の「お久しぶりです♪」「私、憶えておいでですか?」に、「憶えていない。誰だっけ?」の答え。少々呂律が回っていない。
年齢もあるのだろうか、30年以上経っていることを思えば無理もないが、その反応に少々寂しさを感じつつ、我が目的の弦、YAMAHAのライトゲージの置いてある場所を聞いてみる。「ライトゲージはヘビーの横、カスタムライトゲージの方が良い音が出る♪」なんとも簡潔で明確な答え。ボケてはいないようである。
もう30年以上前になるが、私も音楽活動に熱を入れていた頃がある。その頃、演奏の練習の場として、この楽器店の運営するピアノ教室用の部屋を、夜の空いている時間に仲間と共に使わせてもらっていた。彼は、その頃流行り始めていたフォークソングというジャンルに目を向け、音楽を目指す地域の若者達に、その機会とその場を与えてくれていた人物。その成果かどうかはわからないが、私があるコンテストで入賞した時、遠路遥々会場まで駆けつけてくれた人物でもある。
さて肝心の弦だが、彼ご指定のカスタムライトは少々値段が高い。くたびれた我がギターには勿体無いだろうと通常のライトゲージを手にレジに向かった。その時、「〇〇君・・・か。」とぼそり。嬉しいことに思い出してくれたようだ。聞けば歳は70代、まだ若い。肝臓を悪くしているとのことだが、この地域の音楽シーンに貢献した人物の一人、まだまだ元気で頑張って欲しい。「また顔を出します」と告げ、店を後にした。

最近、昔のブームの再来とばかりに、いわゆる団塊の世代と言われる者たちを中心に、夢よもう一度とばかりにギターを抱えて濁声を上げている輩が増えている。今年になりライブハウスに出入りするようになった私も、その流れに竿を刺しているだけなのかと思うと少々がっかりもするが、その世代より若干若い私、その頃、大きな流れには疑問を感じ、まるで横を向くように、別の道の模索を始めた世代でもある。
団塊の世代。我が国が、農を捨て工業化に向かったその根幹を担ったともいえる世代。貧しさとバブル、そしてその崩壊をも知りうる世代。家族主義に走り、核家族化の中、個人の公的責任も放棄して、バブルの恩恵を一番受けながら、食い逃げをする世代ともいわれている。数こそ力なり。彼らの諸々動きは、世の動向に少なからず影響を与えるのは確かである。
そんな彼らと、私の世代を含めたその後に続いた世代。バブルに踊り、バブルに泣き、気がつけば自然は壊され、伝統の文化は失われてきた。豊かさを信じ突き進んできた頼みの経済は、今や“このざま”である。いったい何をやってきたのか。
当時、反戦歌を皮切りに、体制に反旗を翻すかのように地面を這うように広まっていった音がある、歌がある。ボブディランなどに触発されて、プロの道に進んだ者は多い。その頃のようにとは言わないが、このブーム、懐かしさだけのナツメロ感覚で広まって欲しくはないものだ。
その時々の時代に、何を感じ、何を表現していけるのか。私の中では、徐々にだがその答えが明確となりつつある。
さて、我がギター、今夜にでも購入した弦に張り替えようか。