~『わが街飯田市を見下ろすように聳え立つ風越山(ふうえつざん)。718年(養老2年)に泰澄(たいちょう)により開山され、山頂近くに“白山社奥社”、山の麓に“元山白山神社”がある。その奥社に奉られた“白山妙理大権現”から、山を権現山(ごんげんやま)、麓の神社の森を権現堂(ごんげんどう)と呼ぶようになった。毎年敬老の日は、この権現堂(ごんげんどう)元山白山神社の秋の祭典が行なわれる。』~
地元の秋祭り’07 撮影日:2007年9月17日 撮影:管理人地元の秋祭り’07 撮影日:2007年9月17日 撮影:管理人昨年載せた「地元の秋祭り」の一節である。当然だが、今年も敬老の日にその祭りは行なわれた。昨年は神社参道の警護を仰せつかった私。今回は、町内の神輿自体の警護として神社まで同行することとなった。
私の住む町は、氏子の地区の中で東の端に位置する。町内を練り歩いた後の神社までの道のりはかなり長い。途中、区画整理で道路は広がり、まばらに見える住宅の間を練り歩き、車を避けながらの道筋となる。
多分昔は、住宅地を抜け、人々と田や畑が見守る中、収穫の喜びと次年の変わらぬ豊作を祈願しながら、目指す神社まで練り歩いたのだろう。参道から境内に向かっての勢い込み 撮影日:2007年9月17日 撮影:管理人今日(こんにち)のように道路が幅を効かし、木々さえもまばらになった中では、どうしてもその違和感は拭えないもののようである。そんな訳で、最初の2枚はなんとも寂しげな違和感の残るショットとなった。しかし、これも確かな現実である。
田が減り畑が減り大きな道路が走る。変わる地域環境の中で“祭りのみ”を残す意味に、正直なところ少々疑問を感じるが、こうした祭り、時代の流れと進む都市化が齎す弊害のためか、年々気薄になっていく住民同士の繋がりを、多少なりとも強くする力は持っているようである。
国は方向を失い、その中枢では国民不在の茶番劇が繰り広げられている。そんな状況の中、高齢化社会を見据えた上でも、隣人との繋がり、地域との繋がりは、さらに必要なものになってくる。
本来、住民の意識向上を元に、自然に出来上がって行くべきものとは思うが、それがままならぬ現状の中で、こうした地域の中の神社の、昔から伝わる祭りがそのけん引役となっても良いのかもしれない。そう思ったとき、腰痛持ちゆえの、祭りの後遺症による腰の痛みも、多少軽減される思いがする。
ともあれ、今年の我が地域の秋の祭りも無事に終わり、秋本番も目の前となる。