やっと5月らしいすっきりとした晴天が見られるようになってきた。月の初めの頃のような、異様な暑さはご免蒙りたいが、空が晴れると、なんとなく気分も晴れやかになるのは、たぶん誰しも同じだろう。
掲載の写真は、山麓公園に見つけた“谷桔梗(たにぎきょう)”。一週間ほど前の撮影になる。この日、この公園内はツツジが満開の状態。連休中ほどではないにしろ、それを目当てに押し寄せる人々。そんな人々を魅了するように咲く、ツツジの側に日陰の斜面がある。そこに、この小さな野草は白く可愛い花を咲かせていた。
手入れをされ、見事に咲き誇るツツジやサツキも、決して悪くはないが、人知れず咲く、小さな野草に心惹かれる私は、ツツジ見物で賑わう人々を尻目に、その斜面にへばりついての撮影となった。
統計によると、5月は、一年を通じて一番晴天の日が多いとのこと。降水量は少なく穏やかで、湿気も少ないため、一年の中で最も過ごしやすい月ではないかと思われる。そのためか、こうした小さな野草たちが、来る梅雨を前にその勢力を延ばし始める月でもあるようだ。
そんな5月の気候を表現するために使われる「五月(さつき)晴れ」という言葉がある。まるで、穏やかな5月の気候を象徴するかのように使われることが多いが、本来この言葉、梅雨の合間の貴重な晴れ間のことを言ったものである。「五月雨(さみだれ)」と共に、梅雨の気候を表した言葉だった。
「五月(さつき)晴れ」は「皐月(さつき)晴れ」、「五月雨(さみだれ)」は「皐月雨(さみだれ)」とも書かれ、「さつき」は、田植えの時期を表した「早苗月」が語源といわれている。また、「さみだれ」はその「さつき」の「水垂(みだれ)」ということらしい。
新暦になった今、その言葉の持つ意味を問うてみても始まらないが、その中に、季節と共に生きてきた我々祖先の暮しが見て取れる。その中に、季節の、自然の重要性を強く感じるのは確かである。
自然と乖離した現代社会でも、季節の持つ意味は大きい。温暖化による気候変動が進む中、種を守るために必至で咲くこの小さな野草に、自然と共に生きていただろう、遠い昔の暮しに思いを馳せてみる。