東京辺りでは桜の開花が確認されたようだが、朝晩冷え込む日々が続く飯田地方、まだまだ開花宣言という訳にはいかないようである。
19日の日、歯科医への通院の帰り、久しぶりに市街地を歩いてみた。道すがら見かける桜の蕾(つぼみ)は、すでにかなり色付き始め、花開くその時を待っているかのように見える。先日載せた公園の梅は、ほぼ満開の状態。その芳しい香りを一面に振りまいていた。
ついでにと足を運んだ動物園前。入り口植えられている、樹高6m50cm、目通り41cm、樹齢約260年という古い大きな紅梅の木。動物園開設時に、旧飯田藩士邸より移植された梅である。昨年まで、約2年半続けた「今日の一枚」にも何度か載せたが、その時の状態と比べても、木も花も、共に生彩がなくなっていたのには、かなり衝撃を受けた。
思えば、最近この辺りは工事が続き、道と並行して植えられていた桜の木も、その道を広げるためになくなっている。
周りはコンクリートやアスファルトで固められ、毎日のように車の排気ガスを浴びせられ、こんな環境の中で“元気でいろ”と思うこと自体、どだい無理な話しである。変わっていく街と衰えていく“名木”。やがて人の身体にも影響を及ぼしかねないその現状を思ったとき、今の発展のさせ方は、やはり疑問を感じざるを得ないというのが正直な気持ちだろうか。
以前は見られなかった、その老木を支える金属の支柱を眺めながら、“彼”もきっと、こんな場所で終わりたくはないだろうという思いが頭に浮かぶ。それは、我々“人”も同じはずである。
コメント(6) “飯田城の紅梅”
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由緒ある紅梅の木なのですね。
少しでも長く春を告げる存在で居て欲しいです。
以前は見事な花を見せてくれたのですが、このところ花の数も減り、かなり元気がなくなってきているようですね。色ももうちょっと鮮やかでしたよ。
もっとも、あの場所の環境では無理はないと思うのですが、もう少し何とかしてやって欲しいものです。
街を発展させることには異論はないのですが、そのさせ方が問題なのでしょうね。異常気象が続き、これから益々自然の脅威が増える傾向の中、もっと自然の理に適った発展を望みたいです。それは、どこの地域、どこの街でも同じように思います。
せめて街路樹を含む木々たちが元気で育っていける、そんな環境を作る必要を感じます。それは人々が元気で暮せる環境に他ならないと思っています。
甘やかしすぎてもいけないのでしょうが、厳しすぎるのもね〜
もしかしたら冬場の寒気が少なかったせいかもしれませんよ?
明日だったかな?
地球船宇宙号で日本から桜が消える日なんていうのを放送予定のようですが、ほんと四季がなくなりつつあって梅も対応仕切れないのかもしれないよ〜
何とか乗り切って今後もきれいな花を咲かせてほしいもんですね〜
そうですね、気候変動の影響は大きいのでしょうね。
アスファルトやコンクリートで地面を覆ってしまえば、その覆われた地面には酸素が行き渡らなくなります。当然の結果として、街路樹など街中の樹木はどんどん力を失っていくのでしょう。
樹木が減れば、温暖化の要因がまた一つ増えるようなもの。そんな意味からも、街の作り方を考えていく必要性を強く感じています。
ここ飯田地方はリンゴの栽培の南限といわれています。このまま温暖化が進めば、飯田産のリンゴは姿を消すかもしれません。
桜ばかりではなく、今まで人の暮しの根幹を支えていたはずの、一次産業に大きな打撃を与える結果となってしまいます。
これだけ豊かな自然を有する国です。もっとより良い発展のさせ方は絶対にあるはずです。それはもしかしたら、私たち個人個人が何を望むかによって変わってくるものなのかもしれません。
地球全体のことを考えた上でも、できる限り植物が健全で育成できる、そんな環境は残すべきだと感じています。
とても趣きのある立派な梅の木ですね〜!
でも話を聞く限り、今ある場所は梅にとっては
過酷な環境のようですね。
かといってこれだけの木をどこかに移すわけにもいかないし・・・。
なんとか良い対処方法が見つかることを願っています。
かなりの老木です。
移された当初は、こんな形の街になるとは予想できなかったでしょうね。
高齢化が進み人口は減っていく昨今に、東京の高層ビルにはかなわないまでも、大きなビルが立ち始め、道路は拡張され、道路脇の桜も、街路樹も減ってきています。正直な話し、ゆったり歩ける街でななくなってきているのが、かなり気になりますね。
もう老木のこの梅を、これから移転させるのは多分無理でしょう。
対処方法は、乱暴な言い方をすると、コンクリートを剥がす、アスファルトを剥がす。
まず無理と分かっていても、今後、自然を含めた環境や、次世代のことを思うと、一部が潤うだけの、今までのような経済中心の発展ではなく、もっと人の生活に根差した発展を望みたいものです。それはどこの地域の、どこの街でも同じでしょうね。
せめて、こうした木々が元気に生育できるくらいの街になって欲しいと思います。そう、“せめて”ね。
我々が滅したあと何を残すのか。それは決して、不安定で格差社会を誘発する、今の不完全な経済システムではなく、有する自然の恩恵の中、もっと健康に、もっと心豊かに、もっと“人らしく”生きられる環境だろうと思っています。