ここ2日ばかり冬に逆戻りしたような気候が続いている。暖冬今季、その暖かさに慣れた身体には、春先のこの寒さはさすがに応える。7日の午後は雪も降ったようである。
飯田市街地の近く、梅の木が何本か植えられている小さな公園がある。春の花とその香りは、近くの住民のみならず、訪れる人々の心を和ませてくれているが、最近この公園、その周りの変化からか、心寂しい感じがするようになった。手入れをされているとは思えないその梅の木の蕾(つぼみ)は、年々減ってきているように感じられ、余計にそれを助長しているようにも思える。それでも今年も開花の時期を迎え、まだ少ないが、楚々とした花と芳しい香りで私を迎えてくれた。
昨今、再開発と称する動きで、市街地の建物の高さは高くなり、その周りは街路樹さえも減りつつある。高齢化社会と、減って行く人口を思うとき、都会の真似事のように変わっていく市街地と、車の速度を後押しするように太くなる郊外の道路は、やはり、納得いかないというのが正直な気持ちである。使われる税金のこともあるが、そのことで潤うのは、“ほんの一部”という事実と、当然、大きな弊害もあるということは忘れてはいけないことだろう。
里山を後ろに持ち、まだまだ自然は残るこの地域である。もっと“この地の利”を活かした、“この地に合った”、そんな発展のさせ方をしていって欲しい願うが、現実の流れはやや違うようである。公園の心寂しさも、蕾(つぼみ)を減らした梅の木も、まるでそれを嘆いているようにさえ感じる。
何を望むかは別として、国や市の行政のなどの動きを含め、せめて皆が望めばそれが実現可能な“世”であって欲しいと願うのは正直な気持ちだろう。