大犬の陰嚢(おおいぬのふぐり) 撮影日:2007年1月13日 撮影:管理人雪を残す山麓公園 撮影日:2007年1月14日 撮影:管理人先日の大雪から約一週間。日陰などの溶けきらない雪は、寒々とした景観をいまだ残しているが、路肩などに多少の雪を残す道路は、ノーマルタイヤでの通行が可能な状態となっている。
だが、山の近くはさすがに寒いのだろう、山麓公園内にはまだ多くの雪が残り、地面を覆っている。それでも日当たりの良い場所ではその雪も溶け、顔を出した野草たちの葉は活き活きと見えていた。
そんな山の麓に“大犬の陰嚢(おおいぬのふぐり)”が咲いているのを見つけた。かなり気が早い奴と思ったが、場所は違えど年末にも見かけた覚えがある。大犬の陰嚢(おおいぬのふぐり) 撮影日:2007年1月13日 撮影:管理人昨年の11月に載せた“仏の座(ほとけのざ)”、12月の“姫女苑(ひめじょおん)”と、二極化する季節の中で、その咲く時期を見誤っているのだろうか、正直かなり気になる現象である。
それでも野草の花は健気に必死で咲いている。その姿は、今まで環境を壊し続け、いまだそれを止められぬ我々に向けられた抗議のようにも思える。しかし、経済失速の怪訝からか、きちんとした対策が取られぬままに、温暖化による環境の変化は益々加速して行くのが現状のようだ。
小さな動物・植物の異変、台風・ハリケーンの強大化、竜巻・突風など季節外れの嵐、豪雨と干ばつ、寒波と熱波など、どれ一つ取っても予断を許さぬ状況が迫っているのは明らかに思える。
この国にしろ他の国にしろ、次を生きる人々のため、この地球上の何を守り何を残す必要があるのか、それはその国の威信や、欠陥の見え始めた今の経済などではない筈である。
その、国の迷走を避ける意味でも、せめて我々一人一人、経済を含めた目の前の状況に惑わされることなく、何が真なのかを見極められる目を持ちたいものである。