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私が住んでいる近くでは区画整理が行われたところがあり、そこで見かける田は、水漏れ防止の
ためなのか土の畔は無く、コンクリートで覆われているものが目に付く。農業に疎い我々には実際
のメリットは分からないが、見た目からも寂しさを感じていた。
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◆ 古代米の田へ・・・
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温室内の説明を粗方終え、彼は我々を外の田んぼに案内してくれた。
取材したのは11月の初め、ほとんどの田は刈り取り前であり、稲穂は
見事に頭を垂れていた。一見雑然と見える田んぼには、うるち米を始め
黒米などの古代米が植えられている。稲を手に取りその違いを説明して
くれたのだが、素人の私達には、恥ずかしい話し、色の違いくらいしか
判別できなかった。
リンゴなどの果樹は、品種改良のため病気や害虫に弱くなっていると
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古代米の植えられた田んぼ
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聞くが、やはり稲も収穫量をふやすなどの理由から品種改良され、本来の味を失い、あげく病気に
弱く頻繁に農薬を必要とするようになった。何のための品種改良かと嘆く言葉に、彼の古代米への
こだわりがうかがえる。
いくつかの田を見せてもらっている中、畔に柿の木が植えられているのが目に付いた。まだかな
り小さい木で、実を収穫するまでとは行かないようだが、柿の葉は田んぼにすき込めば、最高の肥
料になると言う。
植えられていたのは甘柿。昨年辺りから、温暖化で干し柿が打撃を受けている。何年か後、干し
柿が作れない気候になっても、その実を利用できるようにと甘柿を植えたと言う。その逞しさ、敬
服すると共に、そうせざるを得ない今の地球環境に、ある種の危機感を覚えたのも事実である。
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◆ 土を生き返らせる・・・
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化学肥料は土を駄目にすると聞く。彼の話しでは、それを生きかえら
せるのに15年かかったということだ。壊すのはたやすいが、復活させ
るのはその何十倍もの時間と、多大な労力が要る。以前から自然破壊に
対して言われ続けて来たことだが、当然それは土に対しても同じことな
のだろう。
「昔に比べると便利にはなったけど、失ってきたものは結構大きいで
すよね」の言葉に「それで得た結果がこれではね」そう言った彼の表情
が印象的だった。
最後に温室の近くにある緑米の田んぼを見せてもらったのだが、そこ
にイナゴがいるのを見つけ、「稲を荒らしませんか?」の問いに「ほと
んどの虫は草の方が好きなんですよ。だから、土手の草は極力刈らない
んですよ」と笑いながら言った。
最近見かける、コンクリートの板に囲まれ畔が無く草も無い田んぼ。
多分そこでは農薬の散布は多くなり、化学肥料も多量に使うことを余儀
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なくされるだろう。草があり、虫がいて、自然の持つ力で野菜や米を作る。やはり、それが理想な
のかも知れない。嬉しいことに彼の田や畑には、どうやらその自然の力を持った土が蘇っているよ
うである。
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これも黒米の穂
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畔に柿の木が植わっている
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緑米の田んぼ
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◆ 最後に・・・
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掲載が遅れ、結果やや散文的になってしまった今回のスローフードだが、この農園訪問で、ふと
米国型農業のことが頭に浮かんだ。化学肥料を大量に与え収量を増やし、その土が駄目になれば移
動し、別の場所でまたそれを繰り返す。食糧危機が危ぶまれている今世紀、穀物の収量を上げる必
要性は否定できないが、その供給にかなりのアンバランスが生じているのも事実である。我々を含
め先進国と呼ばれている国々は、食料の無駄食いを止め、環境面をも含めた穀物の生産を考えてい
く必要があるように感じる。
この農園のような取り組みが、即刻そうした問題解決に繋がるとは思わないが、本来農業国だっ
たこの日本。戦後、怒涛のように入り込んだ近代化の流れの中、それと共に失ったもの、得たもの
をもう一度見なおし、先人からの知恵を活かした取り組みが今こそ要るのかもしれない。そして、
それを支えられるのは私たち消費者なのかもしれない。
先日我が家では、この農園から買った緑米と黒米で餅をついた。その餅は、売っている出来合い
の物にはない、もち米本来の甘味と旨みで私を満たしてくれたことを付け加え、その米を栽培した
農園に感謝しながら、今回で“野菜作りと古代米”を終わることにする。
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